ドラゴンニート ~ 世界を変える挑戦 ~

ニートやひきこもりの景色を世界を変える。

僕がひきこもりになった理由-運命感因子(ついてないタイミング)

タイミングが悪いとコロコロリン、良く転がる。

どうして自分がこんな目に、と『運命』に弄ばれる気分。

境遇とは違い、自分次第で変えられるかもしれない運命。

面白おかしく語りたいが、重く自分にのしかかる問題でした。

 

「さらっと語ろう!!」と考えています。

運命なんて一言で言っても、ディープ過ぎるからそう思ってしまうのです。

僕の人生がいくら薄っぺらいとはいえ、下手に忠実に書いてしまうと何年かかるか・・・。

そして、読む人の為にも要点をまとめて書いた方がいいし、話も早いだろう。

(その点は修業中ですので、優しい気持ちでイライラしないで読んで下さいませ)


劣等感因子』においては、僕の抗えない境遇への不満や、劣等感が育ったことについて書きましたが

それが『ひきこもる理由の全て』ではないように、この『運命感因子』だけでも無いのはご理解願います。

残りの因子が『絶望』『想像』『孤独』『変換』と4つも残っているので、ある程度の中略が必要ですね。

めんどくさいとかじゃないのですよ、めんどくさがりですが、結構書くのって大変なんです。と言い訳します。

一番の理由は、自分の情けない人生を書いて、さらに公表するのはなかなか弊害ばかりで大変だと言わせて下さい。

(プライバシーとか無くなったら人間死ぬんじゃないですか?とか言ってごまかしておきますが・・・。)


さて、本題に参ります。


劣等感因子2』で少し触れた『理不尽に訪れた病気』の件です。


変えることの難しい境遇ではなく、何故か訪れる『運命の話し』です。

特に、病気というのは境遇と似て非なるものだと考えています。

(遺伝や、他者から受けた傷害などは境遇になるのかも知れませんが、事故は運命になるかもしれませんね)


そもそも『ひきこもり状態』となったことは境遇か運命か?それはここでは触れずに置いておきましょう。


『運命』を感じる時、ある意味で『悪いタイミング』が深く関連しているように思えるのです。

なにか特別なきっかけという事でもなく、ごくごく静かに訪れる平穏な日々への侵略なのですが

いつのまにか忍び寄って来ていたのに、ほとんど気が付かずに『なんで!?』と憤慨する状況です。

『なんてタイミングが悪いんだ』と実感してしまう感覚の要因とでも定義しましょうか。


僕の代表的な『運命感因子』=『人生を変えるような出来事』と言い換えれば分かり易いでしょう。


僕にとっては予想だにしない出来事で、まるで『事故』です。

『事故』にも原因があって、必然だと語ることも可能でしょうが、ここでは『偶然』と位置づけます。

『ついてない出来事』が『運命だから仕方がない』と『宿命だ』と割り切れたら簡単なのですが・・・。

当然のように『なんて日だ!』となりましたし、『やりきれない想い』がいっぱいに溢れました。

それを『運命因子』と名付けようと思いました。


体を悪くして、家族からの『愛情』を感じた僕は嬉しくもあり、悲しくも感じておりました。


しかし、『病気を治す』という目的はきちんとあって『入院』したのです。

ですが、『同世代の少年』の『死』を目の当たりにして『失望』からランクアップした『絶望』を味わうのです。


それが、今も引きずる『病院嫌いのトラウマ』となってしまったと言い訳する気はありませんが

『運命』とは、どうしてこんな酷い仕打ちをしてくれやがるのか?と、腹が立ってイライラして、

真っ青で綺麗な空をいくら見上げてもやりきれないタイミングがあるのです。


『自分がついてると感じている時や調子がいい時』は『運命は味方』と陽気な気分でいられるのに、反転すれば暗闇です。


もう少し掘り下げて話すと『失望』していた自分の境遇に、運命は『絶望』の機会を与えてくれるのです。

当時、少年だった僕に、新たな成長の機会を『ありがとう』となるのは随分成長した後の話しで、当時は『ありがた迷惑』だったのです。

『〇〇人に1人の珍しい病気」と医師から宣告された僕は極力前向きに『特別な人間』と解釈しようと思いました。

それは親の思想でもありました。いわゆる両親の『宗教思想』です。

(これがまた、両親と祖父母の『宗教』が違ったから余計ややこしく混乱したのは、また別の話しとします)


我が家には『自らを修業の場に置き成長する』『困難や逆境を乗り越えて成果を出す』といった思想が強くありました。

そういう観点から、親に言われたのは『この病気には意味がある、あなたは病気を克服して立派になる』と教えられました。

挙句『ひきこもり』、今は『ドラゴンニート』かどうかはさておき、僕は前向きに病気を治そうと努力したんです。

結論から言うと、ラッキーなことに5年程かかりましたが『健康』になりました。

親は『祈りが届いた』、努力が『花を咲かせた』と僕に教え、僕自身もとても喜びました。


しかし、やっぱり同世代の『笑顔の素敵な少年の死』はあまりに残酷で、悲しすぎたのです。


闘病中の僕も『死』を意識するのですが、子供だったので『怖くてたまらない』と不安に襲われ、静かに歯を食いしばって泣きました。

病室のベッドから見上げる天井は涙で歪み、ウルトラマンの変身シーンのようにドロドロとしますがウルトラマンは助けに来てくれません。

子供ながらに『自分はなんてついてないんだ』と思いましたし『なんで自分が?どうして?』と自分に訪れた災難と自分自信を恨みます。


『運命は酷い』と感じました。


そこで僕は、自分を助けてくれるヒーローとして『悪魔』を育てたのです。

劣等感を育てて、空想に逃げ込むことが得意だった僕は『ヒーロー』が大好きでした。

(今でも正義のヒーローに憧れます。但し、正義も複雑だなと、自分は見ているだけで卑怯な奴だなと思います)


さて、僕は『悪魔を育てた』と表現しましたが、これは『自己愛の歪んだ子供の偶像』でした。

『悪魔』の正体はというと『僕が死なないように全ての外敵から僕を守ってくれる無敵のヒーロー』だからです。

イメージで言えば、『ジョジョのスタンド』のような存在ですね。

(当時はまだ、ジョジョは連載されてなかったかも知れませんが)


伝えようと分かり易く表現していますが、実際は『妖怪』の類だったと思います。

僕は『妖怪』と友達になろうと思い、強く願い、思い込んだのです。

空想の中でたくさんの『妖怪』と友達になりました。

ゲゲゲの鬼太郎』が好きだったこともあり、たくさんの妖怪を想像しました。

そして、僕が一番仲良くなりたかったのが『死神』なんです。

『死神』と仲良くなれば僕は『死なない』と思いたかったのです。

今でもそんな思考の自分を歪んでいると思いますし、死ぬのが怖かったと覚えています。

しかし、それには葛藤がありました。

夜、消灯時間になると『架空の死神』と僕は『自分を守ってもらうための約束』をします。

(契約活動ですね。子供のくせに等価交換的な真面目なルールを作ってしまったんですね)


「お前が死にたくなければ、他の者の命を差し出せ」と自分の想像した『死神』から迫られます。

(ほんと、空想に逃げても現実のルールや不自由に縛られるって変だと思うのですが・・・。)


僕は、『少年の死』を紛らわす為に、自分の境遇をごまかす為に『死神』を崇拝するようになったんです。


最初の入院では『大人を3人』生贄に差し出しました。勿論、空想ですが。

しかし、心は蝕まれていったのです。

昼間は、同じ病室の大人、おばあちゃんや、おばちゃんが唯一の子供の僕を可愛がってくれます。

それなのに、夜な夜な『死神に生贄』として同室の恩人達の命を差し出すのです。

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死神と僕

サイコパスですね。

この思考が、僕のねじ曲がった性格の主線を太くしてしまいます。

あくまで空想なのですが、『自分はなんて酷い性格なんだ』と思ったのです。

僕は亡くなった彼からそう言われる、思われるのが嫌でした。『お前はなんて卑怯な奴だ』と。

自分のことを卑怯で、酷い奴と認識してしたので、体だけでなく心も病人になっていくのです。

当然、そんな空想に葛藤していることなど誰にも話せませんでした。


僕は、これが僕の『宿命』なのだと自分を呪いました。

(すでに死神を作っていたので、分かり易く呪われた状態でしたね)


これが僕の代表的な『運命感因子』です。

表面上はいたって『おりこうさん』なのですが、中身は『死神創造者』です。

子供でしたが、本気で悩みました。

空想の話ですが、自分の頭の中で『人の命を死神に捧げる』という『仮定』をしたんです。

『自分が死なないなら他の人が死んでもいい』という『卑怯な考え』を裏付けてしまったんです。

だから、今も『自分の罪の記憶』として存在するのです。

この時、いずれ僕には『天罰』が訪れるのだろうと考えていました。

既に起きている『病気以上の事態』を想定しつつも、『自分が助かる為』という理由で空想を止められませんでした。

『恐怖』を殺す為に、自分の防衛手段として『誰かを空想で殺す』というやっかいな子供、どう思いますか?

今、歳を食って振り返っても『とてもたちの悪いガキ』です。


しかし、何度も言いますが、空想の『死神』を作ったのは紛れもなく僕です。


そして、『運命感因子』は次の絶望感因子に繋がり、僕を絶望させて無気力にするのです。

それに、『想像感因子』によって『死神』なるものを空想する僕の変な人格が同時に存在しているのです。


境遇、運命、絶望、想像、孤独、変換、相互に関連しています。

性格、機会、無気力、悪い創造、仲間の不在といった感じです。


僕が『ひきこもり』になったのは数年前と最近のことですが、『ひきこもる要因』が潜伏していたように思います。

自分で言うのもなんですが、たくさんの問題(爆弾)を抱えていましたので。


運命感では、病気の不遇から生まれた『罪と罰』のようなことを書きましたが他にもあります。

さらっと行きます。

しんどいので、辛いのでね。また別で書くかも知れませんが。


・病気になるタイミングが『人生ではじめての習い事』を没にする⇒ついてない。

・病気になったタイミングで『愛情』を感じる⇒身近に死を感じる⇒悪魔降臨⇒死神に進化

――――――――(ここまでが、劣等感から繋がる今回の話し。以下は諸々あって省略)

・夢にまで見た憧れの部活(スポーツ)の公式戦の前に怪我して出場できなくなる⇒部活辞める。

・夢を諦めて結婚、幸福の絶頂期に離婚を言い渡される⇒女性不信⇒家族不和⇒親子喧嘩。

・離婚して絶望マックスの時、次男なのに親の借金を背負う羽目になる⇒道理矛盾⇒家族への不信。

・親を許し、仲直りしたタイミングで親の裏切りを知る⇒家族もっと不和、不信の連打。

・転職ばかりの人生に終止符と天職と決めた職場が倒産してしまう⇒金銭問題⇒家族不和マックスで『ひきこもる』になる。

と、さらっと説明しておきます。


細かい部分は、またいつか必要があれば書きましょうね。

ここで深く語るには、弊害が色々とあるのです。

僕はもう家族や自分を恨んだり、誰かを呪ったりしたくない意志が働きます(無職ですが)。

だから、ご容赦下さい。関連のある部分はできるだけ書いてみようと思っていますので。


例えば、大きな運命を変える出来事でいえば『離婚』や『家族不和』『親への不信感』です。

そして、駄目だしの『会社の倒産』ですかね。


『親子問題』の確執が角質となってカカトに重くのしかかりました。

この辺の話は、ここでは省略します。

冒頭でも話しましたが、とてもディープで、『運命感因子』ではなく『絶望感因子』で書きます。


とても辛かったことは、『絶望感因子』で触れるのでもう少々お待ち下さい。


そして、『ひきこもり』に『離婚』という出来事は関連が低いと感じています。

『死にたくなった』と絶望を感じた記憶ですが、酷い自傷の事象でしたが『ついてない』と考えた運命感とはならないからです。

何故なら、僕次第では、うまく避けられたのではないか?とか思ってしまうからです。

(まぁ、不運な境遇なども自分自身で全てプラスに変えることができれば『良い運命』等と表せるのですが)


家族間の『複雑な絡み』は『親子』という関係の性質上、境遇よりの話しではありますが運命よりでもなくて。

むしろ『離婚』は『突然』でしたが『酷い劣等感の後の恋愛観の充実』につながりました。

(そもそも、こんな自分とよく結婚してくれたといった感謝もありましたし、、、また自分を悔やみ恨むのですが。)


『会社の倒産』については『失業』より『人間の裏切り』に絶望した点が強く、それは人間に対する『憎悪』とでも言いましょうか

『親子関係』と似ていて、僕が『ひきこもり』になる『僕の世界観』に深く関連しているように思います。


しいて言えば『劣等感因子』などの性格、『運命感因子』なる酷いタイミングの経験、『絶望』や『想像』と『変換』プラスマイナスで

『僕の世界観』が『ひきこもり』を選択した結果、と簡単に説明することができますが。。。


僕は『セルフカウンセリング』によって、シンプルに『嫌になったこと、無気力になった原因、希望を失くしたプロセス(経緯)を調べて考える』

ことを目的としているため、『離婚』は『親子関係や家族関係』とは性質が違うのです。

どちらかというと僕には『その後頑張れた要因』になりました。

『悪い運命』と意識したものの、あながち『悪くない人生』になったとでも言いましょうか。

『ひきこもり・ニート』もそうなればいいと考えているので、『辛かった運命感因子』について詳しく書いたのです。

おっと、余談が過ぎましたね。


さて、『運命感因子』は、さらっと行って一息つきたいところです。

(加筆、修正は加えていますが、比較的、短くなった方なんですけど、大丈夫かなぁ?)


しかし、自分の人生を語るのは、なかなかどうして辛いものですね。

分かりづらい文章となっていることもお詫びします。

出来るだけ重要な部分を抽出したいのですが、簡単ではないと思い知っています。

できれば面白おかしく語れれば良いのですが、どうにもこうにも辛気臭いですね。

今後の自分の人生を笑うために、明るく語れるように精進しようと思う今日この頃です。


さぁ、それでは、次はいよいよ『絶望感因子』です。

(さも、期待されているように自分を鼓舞して書いています(笑)、、、(涙))

僕にとっての『ひきこもりの引き金的要因』について真相が見えてくるのではないでしょうか。

これを意識することが一番の覚悟となりましたが、既に通り過ぎた痛みとして、サクッとグサッと切実に話したいと思います。

それでは、また!!皆さん、どうかお元気でお過ごしください。