僕がひきこもりになった理由-絶望感因子
『絶望』って意外に簡単に口にできますが、とても重い言葉です。
望み(欲望)を失くして生きるのは、とても辛いからです。
『絶望した』と文字で見ることや冗談で使うのは聞きますが。
本当に絶望した人は『文字』どころか『声』にも出ませんから。
今回は僕の『絶望』について『ひきこもり』のひとつの要因となったことを語りたいと思います。
僕の『劣等感因子』や『運命感因子』は、僕の性格を裏付けるように、思考を導くように、誘うように『絶望の世界』へ招いてくれたように思います。
これは、僕の主観であって、体感、そして体験です。
みなさんはもっと大変な想いを経験して、辛いことがあったかも知れませんが、自分とは違う別の誰かがどんな風に『絶望』したのか、『他人の深淵の意識』を知る機会として、参考になればと思い書いています。
決して『不幸論』を語りたい、『だから僕は悪くない』ではないのであしからず、とお断りを申し上げておきたいと思います。
(じゃー、誰が、何が悪いのか?とお応えしたいところですが、それはまだ先のお話しとなります)
僕が、最初に絶望した記憶。
先にも書きました通り、病気になった『失望』から同年代の少年の死に恐怖した『絶望』ですが、これは今思えば、まだまだ、序の口とでも言いましょうか、前向きだけど皮肉った性格の少年の成長過程においてはまだ、世界の不文律の扉に気付いていなかった時代のお話しです。
それに、子供ながらに僕はもっと酷いことが起こると予想していたからです。当然、僕は病院から死なずに生還したからという理由もありますし、本当の『絶望』を知らなかったからです。(本当の絶望、という言葉には『個人差』や『感覚差』がある為、あくまで僕の『主観』からと再びお断りしまておきます)
運が悪い僕、次男で長男を羨み、妹を妬み、ねじ曲がっていった僕。
病気にもなるし、まるでやる気を削がれる人生に直面した僕は、『死神』を作って実際には強くなっていました。
これは僕の個性と考えればプラス要素かもしれませんし、客観的に見ればただの『たちの悪いガキ』だと思いますが。
病院から退院した僕はすぐに『いじめ』を経験しました。
『障害者』と揶揄され『ロボット』と呼ばれて馬鹿にされました。
(だから障害者を下に見て、馬鹿にする輩が大嫌いになりました)
『いじわる』から、集団的思考の派生により学校では弱い立場の代表として『いけず』をされました。
とても『理不尽』に感じましたが『いじめ』と戦いなんとか『勝利』しました。
僕には『無敵の死神』がいましたので。
ある意味で『無敵』だったのでなんとか生きていけました。
何故なら『運命感』でも話した通り『もっと悪いことが起こる』と予想していたので『いじめ』は通過点となったのです。
人間の醜さを見たくはありませんでしたが『いじめ』については、『僕のひきこもり』には関連が薄いようにも思えます。
『変わってる』と思われるかも知れませんが、僕は『いじめ』を『変換因子』によってプラスに変えることができたからだと思います。
『たまたま』かも知れませんが『運命感因子』に『いじめ』をあげていないのは、僕の受けた『いじめ』が僕にとって『悪いタイミング』とはならなかった、と考えて頂ければ納得してもらえるのではないでしょうか。
これも『感覚の差』ではないかと思います。
決して『いじめ』が軽かったとは思っていませんが『想定内』だったせいか、『予想だにしない悪いタイミング』とはならなかったのです。
当時は、当然『学校に行きたくない』と親にも言いましたが『逆境に立ち向かう』という両親のスローガンに逆らえませんでした。
これは一見、もしかしたら『いじめ』から『ひきこもる』要因となった方に対しては役に立たないかも知れませんね。
逆に言えば、僕は『いじめ』が始まる前に『自分の人生に落胆』していた為とも言い換えることができます。
『いじめ』の前に、既に自分の人生に『絶望』していたせいなのか?おかげなのか?
まぁ、上手くは言えませんが免疫があったのかも知れませんね。
ですから、僕の『いじめ』との戦いはまた別の機会で書くことにしたいと思います。
さて、僕の『ひきこもり』要因が『いじめ』では無かった、と前置きして本題に戻ります。かと言って、それに関連性がまったくないかと言えば『世界に対する落胆要素』であって完全に関係がないと言えば、そうでもないと思います。(数十年後、僕は世界を拒絶するので)
まず、僕にとっての『絶望』を定義しておきたいと思います。
・『死にたくなる』と言えば、語弊があります。
・『無気力』になると言えば、少し足りません。
・『希望が無くなる』と言えば、近いのですが的確ではありません。
僕の、今現在の最大限の表現で言えば、
『自己存在意識の否定から訪れる消滅』だと説明します。
『自分』という『意識』が僕の『脳みそ』に『胸』に『体の全部』に感覚として備わって『存在』しています。
その意識を『根本から否定』して、『消えた』と感じたときが『絶望』だと思っています。
僕は、幼少期に『死』への恐怖に、病気という障壁に『存在の消滅の危機』を感じ『絶望』しました。
しかし、僕が知った『本当の絶望』は『死ぬのが怖い』ことではなく、『死んだ』と認識する仮死状態です。
実際には、生きてるのでこうやってブログで書いているのですが、僕が『死んだ』と言っても中々、どうしても理解されず、誰もが『死んでないだろ』と否定する気持ちもわかります。
そして、僕は『離婚』の際に「死にたくなった」と話しましたが、実際は『自殺未遂』ですので死んでいません。
『遺書』を書いて、マンションのベランダから飛び降りようとしましたが『タイミング』に助けられました。
たまたま、友人から電話が鳴るという奇跡のタイミングでした。結果、助かりました。だから死んでいません。
これは『死にたくなった』話しで、ある意味『絶望』体験なのですが、仮死状態ではありません。
僕が定義したい『絶望』は『死にたいではなく、死んだ』状態です。
一番の『絶望』と言えば、語弊がありますが『ひきこもる』ことになった理由は『死んだ』からです。
『こころ』が。
僕の経験から言えば『自分が意識する前に心が死んだ』と言うのが近いと表現だと思います。何故、『絶望』を定義したのかというと、『最大級の意識の喪失』を表現したいからです。
ついていないと感じた『運命感因子』によって、ある意味『絶望』しているのですが
それだけでは『仮死状態』とまではなりませんでした。
・幼少期の愛情への不満、兄妹間の差別からの劣等感による境遇に対する『失望』
・病気から回復、夢を諦めながらも新しい夢の結婚が失敗した際の自己否定で『絶望』による『自殺未遂』
・会社の倒産から人間の裏切りに失望し、親子間の不和へと続く『因縁のような絶望』
何度も失敗して学んで、挑戦して、苦しんで苦しんで、やっと幸せが見えてくると、自分の人生を呪う瞬間が訪れる。
幸福を得るために、挑戦して求めるほど遠のいていくジレンマ。
これから、話すことはとてもディープです。
そして僕の本心では書くことを拒絶します。実は話したくありません。
僕の心を丸裸にしてさらすようで恥ずかしく、情けなくもあるからです。
でも、これは僕の戦いであり挑戦です。
僕の失敗だらけの人生、僕が生きる世界を変える為には書かなくてはなりません。
これを書くとき、何度も脳みそがやられそうになりました。
筆が止まる、というやつです。トラウマかもしれませんが、『セルフカウンセリング』です。荒療治でも、死んでもいいと、挑戦しなければと『自分の壁を超えるんだ』と思って書きました。
その苦しさを、見えない痛みを少しでもご理解頂ければ、幸いです。
僕が心を失くすまでの『本当の絶望』まで―。
(所々箇条書きになるのは、読みづらいかも知れませんが、出来るだけサラッといきたい、書きたくない意志の表れです、ご容赦下さい。)
幼少期、次男の境遇に不満を持っていた。
病気になり、空想に逃げて『歪んだ性格』だけど『優等生』に憧れた。
いじめも経験したが、『死神効果で無敵』と思い込んで乗り切った。
中学でやっと健康になって反動のように『スポーツの部活』に明け暮れた。
高校でも親友達と共に『夢』の舞台を目指して練習した。
ある日、後輩の悪ふざけで『怪我』をしてしまい『夢の舞台』から転落した。
だけでなく『部活の顧問の先生』から嫌われて『万年補欠』と認定された為、部活を辞めた。
『大人の理不尽』を文化や芸術が癒してくれた。反骨精神が強力に目覚めた。
就職か進学か迷ったが、バブルがはじけた夢のない世界に『夢』を選んだ。
フリーターになって『夢を追いかける』ことに明け暮れた。
『変人でもやれる』と『文化や芸術の世界は素晴らしい』と知った。
知り合ったばかりの女性と親密になり子供が出来た。
『夢』か『子供』かと迷うが『子供』を選び『父親』になった。
破天荒から真面目に暮らすには『違和感』を感じていたが『幸福』だった。
奥さんが若かったせいか、自分が甘かったせいか『金銭感覚』が甘かった。
働けど収入は増えず、借金が増えた。
親に借金を肩代わりしてもらった。
真面目に働いて返すつもりだった。
奥さんから『離婚』を切り出された。
まるで意味が分からなかった。
『浮気』をしたわけでもなく、『育児や家事』も手伝って努力していた。
まして、『亭主関白』が嫌いだった僕は当時かなり『イクメン』だったように思う。
半年の別居後、『協議離婚』となった。『結婚に疲れた』と奥さんは言っていた。
『母子家庭』で育った奥さんが「あなたの家庭の方が裕福だから」と『親権を放棄』した為、
僕はまた『違和感』を感じつつも『息子は宝物』だったので『シングルファザー』となった。
息子の成長は『生きがい』だった。
しかし、実家に出戻った僕を『両親や祖父母』は『結婚に失敗した者、大人として未熟』と評した。
僕は『結婚生活の借金』と『出戻りで幼い息子の面倒を見てもらう負い目』で頭が上がらなかった。
少しでも良い給与の為にと転職を重ね、息子の為にと誠心誠意、自分の最大限で働いた。
『親への負い目』や『ハングリー精神』が追い風となったのか収入がどんどん増えた。
祖父が亡くなり、いよいよ我が家は父の天下となった矢先、父の仕事が傾いた。
大手企業のエリートから独立して大金を容易に稼いでいた父だったが、ギャンブルとお酒に明け暮れ散財していた。
僕が安定した収入を得て、息子が幼稚園から小学校にあがろうとする時の出来事だった。
父は、結婚式を上げて子供が生まれたばかりで収入の少ない兄ではなく、僕に借金の肩代わりを依頼してきた。
僕は結婚生活で肩代わりしてもらった借金を生活費として多めに返済していたのがそれでは足りなかった。
父は実家を手放して借金返済に充てる、そして僕には『現金を作る為に家を買え』と勧めてきた。
今ならこんな方法は馬鹿だったと思うが、当時は賢いと思っていた父が勧めて来た理由に『正しい方法』と納得したのだ。
家族親戚からすると表面上は『親孝行』という名目だったが、僕の立場からすれば『贖罪』だった。
親から『家のローンを家賃分担として半分払う』と『約束』が提示された。
僕はそれに付け加えて提示した。『僕が結婚生活で借りた借金の帳消しをして欲しい』と。
理由は当然だった。
僕の父親は『卑怯』だからだ。
『お金の計算』になると『自分の都合で変化』させるのだ。
例えば、僕は借りたお金を母に月々返済していたのだが、父の手元には辿り着かない。
それは母が節約しているせいだった。父に渡すと散財してしまうから。
だから、これまで返したお金は計上されていないし、母が把握していてもなんの効果もなかった。
大事なときに、母は父の肩を持つ。というか、持たされるが正解だろうか。
僕は『離婚』してから実家に戻って生活費を母に渡していた、借金分を含めて給与の半分以上を。
息子の保育所代なども当然渡していたので、自分はタバコと飯代くらいで過ごしていた。
しかし、それを父は『知らない』と言い切るのだ。
いつも『親孝行』と押し切られるのだ。
だから、父とよく口論になった。
息子を連れて実家を出て、何度も親とは別で暮らそうとしたが、その度に母と祖母から『幼子が不幸になる』と引き止められる。
『息子を人質』にとられて僕は幼少期と同じく『自分の意見が通らない』環境で暮らしていた。
だから、父の借金を肩代わりする為に家を買うのであれば僕の今まで返済額と合算して終わりとしてくれと提示したのだ。
僕は『親への借り』を解消して『息子と自由に暮らしたかった』。
父親は承諾した。
しかし、僕が家を購入すると両親から『家のローンの半分』は支払われることはなかった。借金のやりくりで大変なんだろうと、これも親孝行だろうと思って催促はしなかった。
逆に、僕は祖母から『家賃』として毎月渡されるお金を母に渡していた。
やはり、そんなこと父は知らなかった。
父は自分が知らないことを後から母や祖母、僕が伝えても『知らなかった』と、とぼけて謝りもしない。
そして『約束』は守られないまま、僕は『期待しないまま』、別の楽しいことを考えるよう努めた。
1年ほど過ぎた頃、僕は封筒を見つけてしまう。
自分への手紙と勘違いして、手に取ると『弁護士』から『父宛て』の封筒。
『悪い』と思いつつも、手紙が気になって中を見ると『自己破産手続きの完了』と書かれていた。
僕も借金をして親に肩代わりをしてもらった際に、自己破産の多少の知識があったので不思議に思った。
そんなにすぐには『自己破産』は出来ないはずだと思った。
いつからだ?と疑問が湧いた。
母に尋ねると申し訳なさそうに『言い出せなかった』と言われた。
中心人物であり主導権を握る父に尋ねると、例によってとぼけるのだ。
僕は何の為に、借金の肩代わりとして家を買ったのだと憤慨した。
まんまとやられた、と思った。
確かに、両親の顔色は申し訳ないという真実の表情だったのだが、
僕に『借金の肩代わり』を提示した時、既に『破産計画』も同時進行していたことが分かってしまった。
親は、僕に自分たちが『いい方向』になるようにと『借金返済の為の新築購入』を提示したくせに一方ではもともこうもない『自分たちだけが助かる道』を検討していたのだ。
そして、僕には『親の為に買った綺麗な家』が残った。
父親が自己破産するなら毛頭必要のない家となった、『破産』するなら借家でも良かったのにと感じた。
両親の明らかな『裏切り』だと思った。
親は僕に『自己破産はいけないこと』だと、『人生の失敗者の烙印』だと説き『借金の肩代わり』を依頼したくせに。
それまでの人生が走馬燈のようにフラッシュバックした。
気が遠くなるような、気絶しそうになりながら僕は意識を保った。
『どうして僕を騙すようなことをするのか』と両親に聞きたくて仕方がなかった。
真意を確かめたかった。
僕は、綺麗な家の壁紙を叩き破った。今でもその傷跡が家の壁に記されている。
『父も母も無言』だった。
僕は、息子を連れて家を出ると言った。
『ヒステリック』な父は、僕と口論になると決まって大声を出して『出ていけ』とよく怒鳴ったものだが
父の『自己破産』を知った僕が『親子の縁を切りたいから出て行ってくれ』と言うと『息子の育ての親の母』を言い訳に使うのだ。
僕は父親に『この家から出ていってくれ』と言う。
すると『出て行くならお母さんも一緒だ、お前の息子の面倒は誰が見るんだ?』と逆に脅してくる。
そして、狡猾に『お前を育てた両親になんて言い草を、お前は人でなしだ』と論点をずらしてくる。
最期には『お前をそんなキチガイに育てた覚えはない』と差別用語を平気で口にして『精神異常者め』と罵るのである。
僕だって怒りたくて怒っているんじゃない、僕を怒らせているのは父なのに『ただの悪口』で返し対抗しようとするのだ。
そんなに息子より優位に立ちたいのか、屁理屈を並べて自分を守らずとも『ただ一言、謝る』ことができないのかと疑問しかない。
僕は『事情や言い訳』を聞きたいんじゃなくて、『申し訳ない』とどうして謝ることを敬遠するのか理解できないのだ。
『いつも決まって謝らない』そして『育てた親の権威』最後には『息子の世話について感謝しろ』と押し付けてくる。
どんどん話しをすり替えて行くのが父の手段なのだ。
だから、僕は親の頼みで買った自分名義の家なのに『自分が出て行く』という結論に至る。
『そんな人でなしとは暮らしたくないから出ていってくれ』と僕が怒っても『親の面倒を見るのは子の勤め』と反論してくる。
『長男に同じことを言って断られたから次男に頼むのか?』と聞けば『長男は大変だから余裕のあるお前が助ければいい』と強気に返される。
『親を助けようと自分を犠牲にしたのどうして謝らないんだ』と言えば『お前の借金を返したのは親のわしだ』と帳消しにしたはずの借金が再び壇上に持ち上げてくる。
『それは二度と言わない約束だったろう』と言えば『そんな約束はした覚えがない』とまたも強気になる。
僕は父親に『殺意』すら覚えるが、暴力に訴えることで何も解決しないことは知っている。壁は壊してしまったのだが。
母や祖母が間に入って『もうやめて』となる。
『こんな人を親だと思えるのか?自分も親になったが、こんな親にはなりたくない』と母に言えば、
『お父さんはこういう人だから仕方がない、でもあなたを愛している』と言うのだ。
意味がわからない。
『何が愛だ』と思う。
口論に疲れ『もう考えるのに疲れた、どこかに行ってくれ』と言えば『ここはお前の家だから親には住む権利がある』とまた屁理屈。
『親だと思っていない』と言えば『じゃあ誰に育ててもらったんだ思い出せ、人でなしめ』と理不尽を繰り返す。
僕と父の口論を一部切り取るとこんな感じになる。
これはあくまで一部。
父の都合のいい屁理屈は何百回と繰り返された。
僕は間違っているのだろうか。
僕が幼少の頃、エリートで祖父の自慢だった父は『ただ口論に勝ちたい屁理屈の塊り』に見えるのだ。
僕は『親は偉大だ』といつも思う。
自分の子供の上に馬乗りになって、都合のいい時だけ『自分の分身』と『血で縛り』思い通りにしようとする。
僕は、この次男なら忠実にやってくれるだろうという『親の意図』にまんまと乗ってしまったと感じている。
僕は『親の都合のいい時だけ息子になる自分』に疑問が湧いてしまう。
祖父がもし生きていれば『長男のくせに何をやっている』と父を叱るのだろうか。
兄はこんな弟をどう思っているのだろうか、妹は、祖母は、母は。親戚のおじさんやおばさんは。
特に父は、僕の事を一体なんだと考えているのだろうか。
僕は良い親になりたいのに、祖父から父へ、そして僕へ受け継がれている『自分の血を呪う』ことになる。
余談だが、僕はこれまで自分の息子が『呪われないよう』ただ祈ることしかできなかった。彼を『憎い親』に預けて暮らししまったが故、彼の素敵な人生を描いて欲しいと願ってはいるのだが。僕は少なからず『親と縁を切ることができない自分の血の呪う僕の運命を彼に伝えない』為に生きている。
僕は、それから1年以上、自分が買った新築の家に住まず、近所のマンションで一人で過ごすことになった。
ある意味、僕の『ひきこもり』はこの辺りから始まっていたのかも知れない。
僕は、家を買って10数年ほどになるのだが、自分の買った家に住んだのは実際2年程しか記憶がない。
その期間とは、父が脳梗塞をして倒れ、リハビリから回復するまでの期間だ。
そして、今も、外に飛び出したままだ。
(だからひきこもり相談員の方からすれば『ひきこもり状態』にならないと判断されたようだが・・・。)
そして、間をすっとばした話しになるが、僕はまだ当時、絶望したが、仮死状態ではなかった。
夢も希望もあった、息子が幼かったこともあるし、恋愛も出来たし、仕事も頑張れた。
両親の裏切りに『絶望』したのだが、無理やり『希望はある』と挿げ替えて暮らすことが出来た。
しかし、相も変わらずの生活は続いた。
両親とはぎこちなく、父親については顔も見たくない状態で『憎かった』のだ。
そして、会社が倒産する。悪いタイミングの運命が待っていた。
また僕は、人の醜さに触れてしまうことになった。
あまり詳しく書きたくないのは、『人間が醜い』ことなど周知だと思うからだ。
潰れた会社の社長が僕の『父親』のように『従業員』を壮絶な想いをさせてでも、自分だけは生き残りたいなんて僕が幼少の頃に描いた『死神』と同じ発想であり。大したことはない。
だから、正直、そんな発想はどうでもいいとさえ思える。
但し、『彼らの人を騙す行為は許さない』と僕は生きていくつもりだ。
僕が『贖罪』の念をもって過ごしてきたように、彼らも『人を苦しめた事実』を反省しなければならないと思う。
僕は空想で『死神の生贄』として『他人の命』で自分を守ろうとしたが、実際に人を騙して蹴落としたことは無い。
誰かが『死ぬような想い』をするような仕打ち、僕の父親もそうだが『悪質な裏切り、騙し打ち』は『卑劣』だと思う。
それは『悪意』があれば論外だが、無自覚であったとしても『人を傷つける』という行為を『正当化』してはならない。
例えばどんな行動や言動かと言うと、『人を見下す』、『人の足元を見る』という『上の立場』に立つ、立とうとする愚かなこと。
僕は、弱っている立場の人に『助けてやる』と言って近ずいてくる悪魔をたくさん見て来た。
そして決まって彼らは『その代わりに』と『交換条件』をつけてくる。
最後には『人間の尊厳を奪う』ことで『まるで神』のように君臨しようとする。
例えば、僕が失業したことをいいことに『うちで働かないか?』と声をかけてくるが実際の条件は『アルバイト以下』である。
そして、『負け組』のレッテルを貼っては『勝ち組』の優位性を騙り、人の上に馬乗りになって利用しようとする。
大嫌いだ。そういった人種の人間は本当に『生きてる価値』が無いと言いたい。
お金儲けは大事かもしれない、しかし、大企業だから、大手のエリートだからと『権威』を誇示して
『足元を見てくる輩』を僕はそんな『人格』を決して認めない。
『お金で全て解決』なんて生ぬるい思考だとさえ嫌悪する。
お金で解決出来る事はたくさんあると思うが、僕を『お金で操る』なんて発想が貧しすぎる。
物で溢れたこの国に、まだそんな貧しい発想かと馬鹿々々しいとさえ思うが『お金』が世界を縛り付けているんだと思う。
結構な展開で大筋をそれてしまったので軌道修正します。
問題なのは、自分がそれまで持っていたと思えた『僕だけのチカラ』を失ったということでした。
変人で何が悪い、変人なりに生きてやる、両親も家族も関係ない、僕には自慢の息子がいる。
それだけで頑張れると思っていたのに、心が消えてしまったことがきつかった。
それは、僕が『父親』の歩んだ道と酷似していると気が付いたとき、始まりました。
僕は失業して、独立開業して『自分の無能』を知ったのです。
それが『まるで父のようだ』と思いはじめたところで『自己消滅』、『仮死状態』となったのです。
あんな裏切りを出来る父親が大嫌いなのに、まるであの日の父と同じような『生き写しの自分』を知るのです。
何も上手くいかない。
何も考えられない。
自分はこれまで何を学び、何を頑張り、何を得たのか。
お酒に逃げ、ストレスを発散する為に得意なギャンブルに明け暮れる。
借金が増えて、首が回らなくなる。
取り立て催促の電話、周囲からの復活への期待、楽になりたい。
このまま行けば、いずれは『自己破産』か。
何をやっているんだ僕は。
大嫌いな父と同じじゃないか。
右往左往して、支払が滞り、収入の安定しない僕に父から『トドメの一言』がありました。
『自己破産を考えろ』と。
死にました。
失業して1年半ほど過ぎたころ、収入は少しはありました。
しかし、安定しない僕の生活に年老いた父からこぼれた『僕への死刑宣告』となりました。
煮え切らない僕を、両親は『これ以上苦しまないように』しようと『言葉を選ぶ余裕が無く』待てなかったのでしょう。
ダメージでした。
ただでさえ弱っていた僕の『脳みそ』は完全に思考を停止しました。
気が付くと『涙』が出ていました。
いつもなら言い返す気力があった僕ですが、怒りはすぐに消え、静かに家を出ました。
僕は幼少期から『根性』という言葉が好きでした。親の受け売り、特に祖父のですが。
『なにくそ』と歪みながら『死神』まで作って『いじめ』とも戦えました。
しかし、その時は『感覚』が無くなりました。
心が『からっぽ』になったと後で知りました。
これが僕の絶望感因子です。
結婚時代の『自分の借金から親の借金の肩代わり』へ。
『親の自己破産という裏切り』から自分の失望へ。
理不尽な失業から自暴自棄へ誘われた僕の行動が生み出した『親の失言』で本当の絶望を知りました。
僕は『自分の血が呪われている』と考えていましたが、これが確信に変わったとき、強く再認識した瞬間に死んでいました。
離婚したときは辛くて『死にたい』と思いましたが、この時は『死んだ』状態、『仮死状態』となりました。
『生きている感覚』を失いました。
当時の記憶は曖昧です。
ぐるぐると『自分の嫌な人生』が巡ります。時間の概念すら薄れていました。
当時のことを思い出して書いていますが、今でも思い出せない記憶がたくさんあります。
自分の意識を取り戻すには長い時間がかかりました。
『生きているのに死んでいる』状態でした。
それに気が付いたのは、ごく最近です。
こうやって書いていても、思い出せないことが辛いです。
僕は自分のことを『変人』と言いますが、『変人だから生きている』と精一杯のやせ我慢で自分を自慢します。
こうやって他人事のように客観的に書いてはいるものの、何かに憑依されてしまったような自分が憎いのです。
自分が自分じゃなくなる、『自己存在意識の消滅』を経験したのです。
これが僕が『ひきこもり』になった大きな要因ですが、全てではありません。
一見、『境遇』『運命』『絶望』という負の要素で構成された『ひきこもり要因』ですが僕はそれだけじゃないと思います。
『創造感』や『孤独感』で『変換因子』がマイナスに作用することで僕はより弱体化したように思います。
ですから、もう少し『ひきこもった理由』について掘り下げたいと思います。
次は『創造感因子』について書きたいと思います。