ドラゴンニート ~ 世界を変える挑戦 ~

ニートやひきこもりの景色を世界を変える。

僕がひきこもりになった理由-孤独感因子

境遇と運命、そして創造から導かれたような変な人格。

普通に憧れるも、まるで普通じゃない自分の人生。

人から変わってると言われ、自分で『漫画みたいな人生』と答えます。

しかし、多数決からはみ出して孤独を感じてとても寂しくなります。

 

僕には、友人は多くはありませんが、親友と呼べる友がいます。

しかし、『絶望』して死んでしまった『心』のせいか『友の声』を感じられなくなってしまいました。


とても、窮屈な閉鎖空間に閉じこもってしまいました。


まだ『ひきこもり』状態じゃない『失業』した僕を友人はそれまで以上に励ましてくれました。

食事をおごってくれたり、『アルバイト』をさせてくれたり、経済的にも支援してくれました。

しかし、僕自身が『心』を失いつつある状態に気が付いていなかった為か、友人の支援や期待に対して

応えることができないとマイナス思考で憂鬱を作り出してしまい、連絡するのが億劫になっていきました。


そして、本当の孤独が訪れました。


親との確執で、ありがたい友人を敬遠し、世界からの見えない疎外感を感じてしまいました。


それまでも、自分は孤独だと感じたことは何度もありました。

皆さんも同様に経験があると思います。

友達と離れたり、そもそも友人が居ないと感じたり、職場や学校で孤立したり、恋人と別れたり。

学校や職場、プライベートな親密な人間間、家族間、趣味の集まりなどなど。

様々な人間関係があって日々暮らしている中で、貴重な『話し相手』が減っていくと、孤独になります。

たわいのない『おはよう』や『こんにちわ』、『こんばんわ』等の挨拶からも遠ざかって行く。


僕の場合は、『親との確執』が沈黙を作り出して、分かり易く会話が減りました。

僕から話しかけようにも口を開けば『働け』と言われる、『頑張れ』と期待される。

友人との関係も『応援している』と言われれば『頑張るよ』と言うしかないのです。


しかし、実際の僕は『どうしようもない』と諦めているのです。

僕が動けば世界は反転するのではなく、また悪い方向へ進むとしか『創造できない』のですから。


だから自分が助かる為にはと『悩み』続けました。

メンタル回復の処方箋としてたくさんの『前向きなドラマ』や『アニメ』、『感動映画』などを見ました。

しかし、一瞬しか効果が無く、『こころ』の回復は持続しませんでした。

病院に行こうと思いました。

自分は『病気』だと『脳の異常』を見てもらわねばと考えました。

それなのに、それだけ苦しい状態になっても、『嫌』なのです。

前にも話しましたが、僕は『病院が嫌い』なのです。

だから、余計に苦しまねばならなくなったのかも知れませんが結果として『セルフカウンセリング』で荒療治で回復したのですが。

(病院に行ける人は行った方がいい、それもひとつの手段だと思います。僕には合わない方法だっただけです。)


そして、気が付きます。

どうしてこんなに『孤独』なんだ、と。

『最愛の息子』は居るんです。

『友』も居る。

『憎い両親』も。

しかし、息子にはこんな情けない姿を見せられない。

友人の期待にも応えたい。

両親はどうでもいいが、僕が働かないので僕の親と息子は生計を共にしている。

どうしたらいいのかわからない、困った。


お金がないことにも困っていましたが、僕のエネルギーが圧倒的に空なんです。


『無気力』で『何も面白くない』状態なんです。


誰にも相談できないので、自分で助かるしかありません。


経済的支援を兄がようやく名乗り出てくれ、妹が病院を探してくれましが、僕の『心はからっぽ』でした。

当然、兄妹、兄の奥さんや妹の旦那さん、みんなに感謝しました。

しかし、やはり『孤独』なんです。

普通に働けなくなった自分が『憎い』とさえ思えてくるんです。


抗えない境遇に劣等感を育て、ついていない運命に弄ばれて『絶望』する始末の悪い自分が『嫌い』なんです。

負け戦ばかりの自分を作り出してしまった『創造主』の僕自身の堕落、自信の喪失が『孤独』を感じて辞められないのです。


失業する前のお得意先様で、とても『好意』にお付き合い頂いた僕の仕事の師匠とも言える方から電話がありました。

とても有難かった。メールで『食事に行こう』と誘われたのに『返事』を返せなかった。

『理解されない』と『話しが合わない』と一方的に決めつけて『返事』が出来ないのです。

何故なら、僕は『変わってしまった』からです。

当時は、思い込んでしまったんです。


失業して社会との関わり、家族、友人との関係が薄くなり、社会から孤立したと思い込んだのです。


僕は『失業』してすぐに独立しましたが、取引先から裏切られて社会の成り立ちを憎みました。

酒に溺れ、ギャンブルに明け暮れ、親から『死刑宣告』を受けたので生きているのがやっとでした。

『自分の血を呪い』『世界を敵視して』『孤独の亜空間』に逃げ込んだのです。

それが僕の『ひきこもり』状態です。

飯を食う欲求すら薄れ、眠ると『悪夢』を見るのが嫌で酒を飲んで紛らわします。

悪循環でした。

それでも僕の思考は止まらず『悪循環の思考のループ』が続き、疲れ果てて眠ると『うなされる』の繰り返し。

ああ、なるほど『脳みそを止めなければ』と後で『抗うつ剤』などの有難みを知るのですが、僕は病院に行きませんでしたので

ただただ、苦しむしかなかったのです。

目覚めると『今日も生きているのか』と落胆の日々を繰り返しました。

嫌な記憶を思い出さないようにしているのに、『嫌なイメージが湧いてくる』。

そして、生活苦という時間が差し迫ってくる。『働かなければ』と。

でも、悪いイメージしか出来ないので『心は回復しない』のです。


『絶望』して心を失ったはずなのに、『記憶』だけは残っているのです。

おかしなものです。


人間の感情は医学的に言えば『脳みそ』で感じているはずなのに、『胸が痛む』など。

体の全身が苦しいと考えて副作用のように『異変』を感じることが不思議ですが事実です。

だから、僕は『脳みそ』と『こころ』をうまく表現できないように思います。

頭は思考を繰り返す、しかし感情がうまくコントロールできない。


とても辛い状態でした。


そんな異常な状態を『誰に話せば理解されるのか』と悩み、『うまく表現できない』状態でした。

ときどき、以前のまともだった自分が顔を出して『普通だよ』と演じてしまうのです。


だから、周りは余計に『訳がわからない』と思います。


自分でも何が起こっているのか、少しずつ理解していく中、外では普段通りの時間が過ぎて行く。

だから、『取り残された孤独』を感じていました。

隔離されてしまったような、社会の扉が塞がれてしまったような、疲れて眠ると『電車に乗り遅れる』夢を見るのです。

これは、昔から僕が見る夢に良くあるパターンなんですが。

『何かに乗れなくなる』

『誰かに置いて行かれる』

『急に一人きりになってしまう』

という『何かとの決別、引き離されるような想い』を示唆するような夢を見るのです。

起きているときにも、寝ている時にも『気が休まらない』、そして『薬』も無いので『酒』を飲むのです。

酔っぱらっていれば、『気が休まらなくともごまかせる』からです。


寂しいのに、寂しいと言えない。

淋しくて、淋しくてたまらないのに弱音は吐けない。


それまで『自分は強くあろう』と意識してそれが出来ていた頃の僕の意識が、弱った状態の自分を鼓舞するのです。

だから『誰にも言えない』と『究極の孤独』を生み出したのです。


そして、『ただ自分の中の殻にこもる』ことしか出来なかったのです。


こんな変な状態の自分の言うことを誰が聞いてくれるのだろう。

自分はなぜこんな風に生きてきてしまったのだろう。

社会に出て、誰の役に立つのだろうと自分を責めるだけで、外に出られない。


僕の感じた『孤独』は『地獄』でした。

だから、働く方が『楽なんじゃないか』と扉に手を伸ばすと『手が震える』何故だ、何が怖いんだろう。

わけがわかりません。


酒も減らしました。ギャンブルするお金も無くなりました。

たばこの本数も減って、食事も貧しくなりました。

いよいよ、このまま死ぬな。『孤独が人を殺す』とはこういうことか。

と悟りのような境地に至ったとき、僕の最後の砦がようやく目覚めたのです。

それは『孤独』だと感じていた僕が、かつて幼少期に『死神』を作り出したような話しです。

『死』に対する恐怖ではなく、『諦めにも似た悟りの境地』になった僕は『過去の僕』と出会いました。

僕の頭の中で声がしたのです。


『まだ死ぬなよ』と。

それは、少年時代の僕でした。

『僕だって頑張ったよ、病気の時に』と語りかけてくるのです。


そして、また別の声がしました。

『夢をあきらめるなんてらしくないよ』と青年のギラギラした僕です。

『変だっていいじゃないか、俺らしくいるから俺だろ』と父親になったばかりの頃の僕も居ます。


僕は涙を流しました。

不思議なことが起こりました。

過去の僕が、いや僕達が、今の情けない僕を『応援』してくれているんです。

僕は『奇跡』だと思いました。

これは僕の体験で、実感です。


僕は『孤独の地獄の中でたくさんの過去の自分』と巡り合えたのです。


これはもしかしたら『夢』だったのかも知れませんし、『多重人格』というやつかも知れません。

しかし、僕の『孤独』は吹き飛びました。


僕の中には、たくさんの僕が居るということを知りました。

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僕の中の僕たちの希望

今の僕が全てだったのに、過去の僕たちが『笑顔』で僕を『理解して応援』してくれているのです。

これは僕の中の『変換因子』による『奇跡』だと感じました。

僕はその後、より深く自分の『本心』を探して自分と『対話』しました。

それが僕なりの『セルフカウンセリング』という荒療治のはじまりになりました。


僕の『過去最強の孤独』は、僕を殺さず生かしてくれました。

僕が、『誰にも助けて欲しくない』と苦しみもがいて選んだ道が僕を回復させました。


僕にとって手段はどうでも良かったのです。

まずはじめに僕が助からなければ、息子のことを考える余裕がなかったのですから。


僕は『孤独』というのは悪いことだけじゃないと思います。

あなたがもし『孤独』を感じたのであれば、『誰も味方がいない』のであれば

『はじめに自分を愛して、肯定する』ことから始めればいいと思います。


僕の場合は『助けてほしくない』とわがままが先行してねじれまくった結果苦しみましたが。

しかし、それは僕の『本心』だったと今は思えます。

強がりのやせ我慢が、異常者の僕なりの助かる道になったのです。


僕は『自分のこころ』を取り戻しはじめたのです。


抗えない境遇から自分の劣等感を知り、運命を受け入れて、絶望した自分が孤独になっても

あなた自身という『最強の理解者がひとり』いることを忘れないで下さい。

そして、及ばずながら僕みたいな『変な奴』が居るということを。


次は、『変換因子』です。

『こころ』が戻ってきたのに、それを方向づける『変換因子』が『希望因子』に変わるまで。

僕が『ひきこもりになった理由』を分析した『セルフカウンセリング』の最終回となります。