ドラゴンニート ~ 世界を変える挑戦 ~

ニートやひきこもりの景色を世界を変える。

僕がひきこもりになった理由-創造感因子

想像して創造してみると、自分が見えてきます。

無力です。

想いが溢れても何も創れない自分が嫌いになって、悪い自分を創造してしまいました。

 


僕の想像力は、誰かの気持ちになってみたら?とか

空想の自分を、別の世界に思い描くことでどうなるだろう?とか

『絶望』するまでの僕は、わくわくするような、ドキドキするような方向に使っていたのですが・・・。

何故か、『絶望』した後は良いイメージが出来なくなってしまいました。

悪い方向へと世界が膨らんでいくように考えてしまったのです。


今までは、ブラックホールがいくら光を飲み込んでも、僕の宇宙はそれ以上に膨張して形を広げていったのに

どんどんブラックホールが僕の光を吸い取ってしまうイメージ。


子供の頃、初めて映画館で見た『ネバーエンディングストーリー』のネバージェンを襲う『虚無』という強敵。

まるで僕の創造力は奪われて、生活と共に貧しく乏しく、無力になっていくようでした。


最後に書こうと考えている『変換因子』において、マイナスに働くチカラが全てを無駄に変えてしまうエネルギー。

思考が、まるで働かない。

仕事しろ!俺の頭!!と思うのですが、『創造』に至る結果は得られません。

なのに、僕は『絶望』する以前と同様に『思考のループ』を繰り返すのです。


僕の性格でしょうか。

劣等感をすくすく育て、ついてない運命だと感じてしまい、更には親からの失言による『絶望』の人生。

そして、『圧倒的無力』な現実を体験し『唯一の支えだった息子』の為に頑張れた自分すら『失った』ように感じました。

なにも作れない、いいイメージが湧かない。

僕の自慢だった『創造力』がまるで発揮されない。

なんて馬鹿なんだ、なんて愚かなんだ、社会に役に立たない僕の生きる価値はどこにあるんだ!と展開してしまいます。

答えは、僕の中にありました。

半ばやけくその荒療治でしたが『セルフカウンセリング』で『相反する大きな闇と小さな光』を見つけました。

問題は、闇の影響力です。

強大すぎるのです。

何も考えていないはずなのに、『亜空間』の中で、どこかで『闇』を増幅しているのです。

明るいニュースを見ないようにする強大なチカラです。

暗いニュースばかりが目に付くのです。


僕が生きたいのはこんな世界じゃない、が強調されて見えてしまうのです。

 

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闇に支配される創造力


自分の人格(性格)そのものが次のような状況から生み出されているように考えます。

多分、自己防衛本能的な、精神をかろうじで維持するような最終判断のシステムといいましょうか。


・自分が変だと感じたのは環境や劣性遺伝のせいないのか?『呪われた血』と想像してしまい

・他人と分かり合えない、社会の考えから逸脱した自分は価値観が間違っていると感じて

・変な自分が社会不適合さ故に、普通には暮らしてはいけない、だから壁を作って自分を守らねば。と。


この自分で創り出してしまった悪循環の発想を止めなければと気が付きました。

1年半ほどかかりましたが。

分析してみたんです。

自分の本当の意志や目的がどこにあるのか?と。


・親孝行だと決意した自分は悪くなかったのではないか?

・裏切れらないことに期待した自分が馬鹿だったんだ、でいいんじゃないか?

・過去の自分の失敗は他の誰の為でもない自分の成功へと、いつかどこかで繋がるんじゃないか?


つまりは、自分のいい所を見つけるように分析しなければと思ったんです。

『ひきこもり』もある意味、不正解のようで正解になるかも知れない、と想像しようと。

まだ、創造までは出来ていませんが・・・。


最近では『絶望』に至る自分をどこかで『想像』して『創造』まで導いてしまったんじゃないかと感じています。

人に自慢できないところばかりが目立つのですが、自分を呪ったままで自分を愛せばいいじゃないかと思いました。

(なかなかどうして葛藤し、矛盾して、対立してしまいがちなのですが。)


僕は、悔しい時や悲しい時に物思い『考える』行動をしています。

楽しくなる為に考えているのとは違う『考えてしまう』、いわゆる『悩む』ときの『考える』です。

どうしてこんなことになったんだと、生きる事に『悩む』ようになったと思い返します。

想像して、努力して、何度も失敗したから『また負ける』という負け癖の『悪い創造のループ』をつまらないと

ただ単純に『悔しい』と思えばいいんですが、それが出来ませんでした。


『悩み疲れ諦める創造』となっていったんだと思います。


苦しんだ末に『暗い世界に身を置いて沈黙』していく状態です。


思考は大事です。

僕の人生です。

いい年こいて『失業』して『無職』です。

いいイメージなんて出来なくて当たり前の状況です。

こんな風に『絶望』から回復できたのは『息子を愛する自分』のおかげです。


僕にとって『息子』は『闇を照らす唯一の光』でした。

何故なら、『ただ愛おしい』と感じるのです。

僕はまだ『息子の生きる世界で生きていたい』と思えるのです。


『こんな人生だったけど僕にはうれしい存在がある』と思い出したのです。

ときに、息子だけでなく『ひまわりのような恋人』も思い出しました。

あの人と再婚できたなら『もう最高の人生だろう』と考えていたとても素敵な思い出です。

別れてしまいましたが、僕が至らないところを数え上げればキリがないのです。


『息子』が僕を愛してくれていることに、『別れた彼女』の無償の愛に感謝して、過去の幸福に感謝して僕は情けない状態を表現しようと思いました。

葛藤もありますし、弊害も予想されます。(だから息子に許可をもらいました)

しかし、それでもいい。

一度死んだ人間なんだから、もう死ぬのは怖くない。

僕はようやく『僕のチカラのかけら』を取り戻しました。


面接には相変わらず落ちていますが、就職だけが僕の人生じゃない。

僕は、『まだまだ自分の価値を創造』しなければならない。

そして、『ひきこもり』の未来は『暗いばかりではない』と断言したいのです。


ここに『元ひきこもり』だと、変な人間がいることは確かなのです。

れっきとした根拠です。

エビデンス』とか言えばカッコいいですかね。

こんな皮肉った僕なりに、絵を書いたりつたない文章を書いたり、自分なりに人生に抗えばいいんだと思いました。

お金が無くても、自分の価値を創造することには必ず『意味』があると思うんです。


自分を『忌み嫌い呪った意味』

世界に『寄り添えない意味』

それでも、まだしがみついてカッコ悪く『生きる意味』


想像しなければなりません、自分の未来を。

1円も稼げないから自分は無価値なのか?

誰の役にも立たないから自分はダメなのか?

社会の一部となれない自分は死ぬしかないのか?

曲がってしまった歪な形の自分は評価されないと嘆くより、そんな自分を表現することで創造しようと思いました。


しかし、そんな僕の世界はなかなか広がりません。

何故なら、僕ひとりのチカラなど微々たるものだからです。

だから僕は友人を頼り、理解者や共通の友を探します。

心のよりどころのような、こんな脆弱な自分でも生きていけるような世界を夢見ます。


とても曲がりくねった道を進んでいると思います。

しかし、想像するだけなく創造にまで形を彩るためには僕は失った力を取り戻し、復活せねばなりません。

僕が、ブログをはじめたのは小さな奇跡です。

皆さんの周りにも小さな奇跡は起こっているように思います。

世界は優しくないかもしれませんし、みんな自分が生きるのに必死で『誰かの言葉に足を止める暇』もありませんから。

でも、それでも、それは仕方がないこと、僕も自分はおろか息子すら食わしてやれていない。

僕は、夢のある世界を創造したい。


しかし、それを蝕むのが孤独です。


少し動いてわかりました。想像以上に『孤独』が存在しました。

想像していたより、やっぱり風当りはきつい感じました。

風当りというか現実と空想の壁というやつですかね。

僕には生き辛い世界です。

教わったことは役に立たず、考え方はどんどん違う方向へと枝を伸ばして暮らして来ましたから。

 

大した答えにはなっていないかもしれませんが、思考が暗い方へしかいかない暗黒パワーと戦うのは困難です。

だから、無理にプラス思考にならなくても、マイナス思考のまんまで光を求めればいいと思います。

そしたら僕は『このまま死ぬのは悔しいな』と、『間違っててもいいじゃないか』という結論に至りました。


僕は曲がったまんまで微力な自分を愛して行きます。

あなたも自分を愛して下さい。

嫌いなまんま、『しょうがないか』と自分と握手しましょう。


性格が悪い、社会不適合でサイコパスな僕だって、憎い親のスネをかじってでも生きているのですから。

僕の事を『最低な奴』と揶揄して『馬鹿にして下さい』それで生きるのが楽になればひとつの手段です。


※但し、僕の息子の存在を利用して攻撃してくる方にはお断りを入れておきます。

例えば、『子供が居るなら仕事を選ばず働けよ』と言ってくる人。

⇒僕は息子の成人を機に、『ひきこもり体験』を公表しています。

⇒かといって息子の親権を放棄していないので『責任』を果たせと言いたい気持ちもわかります。

⇒間をとって『僕にお金を下さい』とも言いませんから、『文句だけ』言いたい気持ちなら抑えて下さい。

何故なら他人を批判することなど誰にだって出来る『簡単』な手段です。

何も考えもせずに、僕の存在の成り立ちを知ろうとせず『文句』を言いたいだけなら抑えて下さい。

お願いします。お互いにとって不毛な争いになるのです。

僕は社会的立場においてはあなたより下かも知れませんが、あなたが上から言っているなら『勘違い』と判断します。

そして『がんばって働け』と言うならまだしも、『子供の為に働け』という一般論は僕には届きません。

僕が『ひどい親、駄目な親』と言うのは理解していますが、『子供の為に働けなくなった自分』を想像して下さい。

『誰かが誰かを助けるのは困難で』『誰かが誰かを助けないのは簡単』なんです。

だから『助かりたいのに、助けて欲しくない』という複雑な心境を表現しています。

こんな僕のような『愚か者』を見て見ぬふりをするのは簡単なんです。

幸せな人々が不幸を見ずに暮らしたいように、不幸な人々は幸せを望まなくなります。

つまり双方が傷つけ合う仕組み、構図が出来上がってしまってるんです。

その仕組みに沿って戦うのはやめましょう。それでも『文句を言いたい人』は居ると思いますが。


本題に戻ります。

僕みたいなのが居る、発生した時点で『日本の社会は駄目だ』とか『頭のおかしい奴がいる』と思われそうですが

逆に僕みたいなのが居るから意外に世界は成立しているんじゃないかと考えます。

アイツよりはまし、アイツは酷い、アイツのようになってはならないと下を見下ろす生活水準の優劣に左右される論法。


しかし、人間のよしあしは、単純に馬鹿か賢いだけでその価値は決まらないと思います。

僕のような悪い見本でもいいじゃないですか。

僕は『ひきこもり』の状態が社会悪だとは思いません。

『家にこもって働いていない人』を単純な社会の風潮だけで悪人にしてはなりません。

働かない、親に世話になるすねかじり、無職、国民の義務違反、責める理由はたくさんありますが

税金をたくさん納めたからといってその権利が主張できないのが真実でしょう。

国の政策として、多様な使途に用いられている税金ですが、8%から10%にあがった消費税は僕を助けません。

僕が仕事で出世してたくさん収めた所得税も年金も、収入が増えた分だけ僕を苦しめました。

お金との付き合い方を間違えていたようにも思いますが、昔からお金に操られるのが大嫌いだった自分がいます。

お金を貯めることが出来なかった自分が馬鹿だったとも諦めますが、いくら稼いでも届かない親の借金もありました。

そもそも平等じゃない土俵から落ちるのは簡単なんです。金持ちと貧乏人とでは圧倒的優越のスタートラインです

だからなのか?『ひきこもりやニート』という自分より弱者を責めたい気持ちもわかりますが、それは安易です。


簡単に人を悪人にしてはなりません。

その人の良しあしを断言できる人はその人以外に存在しないはずです。

そして、僕は想像します、『110万人もひきこもりがいて酷い社会』と落胆するのではなく、

『仲間がたくさん居て助かる』とわがままに自分本位に解釈します。

今はそれでいいじゃないですか、僕のわがままを少し切り取ったほんの一部の発想で人間の価値は決まりません。

立場上優位だと考える人が『ひきこもり・ニートは弱い人間だ』とで決めつけるのもその人の価値の全てではなく一部。

しかし、多数決の世界では働いていない人が多いと世間は『ずるい、弱い、卑怯』と少数派を更生せねば落とし穴にはまってしまう。

僕は『ひきこもり・ニートは悪』と決めつける『世界のくだらないレッテル』を剥がしてやりたいと考えています。

理由があろうと、なかろうと、働こうと働くまいと実は自由だと思うのです。

だって、働くのは自分の為で『国民の義務』だと思って働いている人は世界に何人ぐらいいるのでしょうか?

働いて『税金を納めてよりよい国を』と決まっている世界に産み落とされた責任って誰がとるんですか?

僕は、お金を稼いでからようやく税金の仕組みを学びました。お金に困り始めて身に降りかかって初めて学んだのです。

それがこの世界のシステムです。え?知らないの?当然ですよ?とか市役所の人から『義務』を振りかざされました。

これで『だから役人は、だから政治は』と庶民が責めどころ、落としどころを見つけます。

それじゃあ、今後は義務教育で『将来、ニートになってはならない』と教えなければならないんでしょうか。

もしくは『ユーチューバーになるなんて甘い夢を見るな』と現実ばかり学ぶのが手堅い方法なんでしょうか。

多数決のルールは怖い、そのルールを守れているうちは守られているようですが、はみ出すと一気に阻害されます。

それでも、僕はドラゴンニートという馬鹿な生き方を選びました。

僕は、自分の価値を想像して、思いっきり的外れでも穿ってやります。

次は、そんな僕の行く手を阻む存在、社会のルールによる『孤独感因子』を書きたいと思います。