ドラゴンニート ~ 世界を変える挑戦 ~

ニートやひきこもりの景色を世界を変える。

僕は誰なのか? 自問自答しながら。

成功体験が情報の海にばら撒かれている。

成功とは何?誰かの期待を守るためにどうすればいいのか?

失敗者の僕は、一体何者で誰なんだ―。

自分とは?

忘れた頃にやってくる。

まるで永遠のテーマのような、自己愛のようで自己嫌悪のような思考。

つま先まで浸透する、悶々とする感情で過ごす時間。

社会不適合者と認識した瞬間に世界から弾き飛ばされて描いた放物線。

誰の心にも寄り添えない空しさ。


失敗者の烙印が剥がせずにいる。

強烈なマイナスのイメージに支配されそうになる。

空腹、借金の督促、ネットだっていつ止まることか。

こんな自分なんて生きていたってしょうがないのか。

どうしてこんなことになってしまった。今さらなのに。

 

でも、きっと『お金が無い』=『値打ちが無い』ではない。

『生きる為のお金』は必要だけど、『生きる為の価値』は全然別のところにありそうだと感じる。


自分を卑下して落胆して生活苦が押し寄せても、未来を見つめていたい。

柔らかい日差しが目の前を照らしている、そんな暮らしを取り戻したい。

僕が生まれた時に、既に価値は存在していたはずだ。

あの子がくしゃくしゃのしかめ顔で世界に誕生した時のように。


まだ、もう少し生きて、彼の成長を見ていたい。

まだ、もう少し生きて、彼の生きる世界に希望を持ちたい。

まだ、もう少し生きて、自分に何が出来るのか挑戦してみたい。


僕は、自問自答する。

自分の値打ちってなんだ?

僕とは、一体何者なんだ?

この先は危険と知りつつも、また、迷宮に足を踏み入れてしまう。


もう二度と失敗したくないけれど。

もうあんな想いはしたくないんだけど。

 

負けた。

こてんぱんに負けた。

自分というものを全て失ったように思った。 

 

負けを痛感して、心がくじけて転んでそのまま落ちていった。

 

それまでの視界を失って、真っ暗闇に沈んだ。

こんな場所があるなんて知らなかった。

知ってからじゃ遅かった。

自分の居場所がなくなるとこんなにも窮屈なのか。

 

見上げると固く閉ざされた扉があった。

いつからそこにあったのか、思い出せないまま時間が過ぎた。

 

ここからは出られないと諦めた瞬間に思い出した。

たわいのない子供の頃に感じた想い。

 

『くやしい、負けたくない。このままの自分が嫌いだ』

 

扉なんて最初から無かったことに気が付く。

僕は、このまま塞ぎ込んでいたくない。

でも、何がしたいか分からない。

何をどうすればいいのか分からない。

自分でも分からないのだからきっと誰にも伝わらないと嫌気がさしてくる。

 

『探さなければ、くやしいんなら戦うしかない』

 

どう生きたとか、どう死んだとか、成功者も失敗者も、勝ち組も負け組も無くて

お金持ちや貧乏という状態についた値札なんて無視していいんだ。


大事なことはちゃんと書いておかなければ。

大事な人にはちゃんと謝りたいし、ちゃんとお礼もしたい。

感情が戻ってきたことに感謝して、感謝を変換して広げたい。

本当に大事なことは、誰も教えてくれない。

それなのに、何故か知っていることがある。

 

僕は、すぐに『迷子』になってしまうけれど、その道を探さなければ。

子供の頃に見た風景。

原点の欲求。

僕は、成功して誰かに認められる為に『生きているんじゃない』と。

僕は、『自分に成るために生きてきたんだ』と。


まずは、『今の自分』を認めることから始めるしかない。

そして、その先に『何か』があったり『誰か』が居たりするのだろう。

時には喧嘩もするかも知れないけれど、正しいことって何なのかを考えて生きていたいと心から想う。


幼稚な話しになるかも知れないが、前向きに生きようとすれば『向かい風』というか

『抵抗』のような見えない障害が現れたり、また、運が悪くすれ違ってしまう。

物理じゃないけど、重力のような存在が立ち上がろうとする体を重くして、嫌な記憶に後ろ髪をひかれてしまう。

季節が変われば、寒かったり暑かったり、そんな些細なことでくじけそうになる。


前に進む為の『推進力』が欲しい。


そして、同じ所ばかりグルグル回っている状態を改善するために、僕の中に閉じ込めてきた『求心力』を開放する。

 

体は過去から未来に、心は中から外に。

今ここに在る『次元』を越えなければならない。

体はもう随分と大人になってしまったけれど、『心は子供』のままでいい。


でも、明確な目標がないから誰かに話すと『負け犬の遠吠え』、『まずは働け』と嘲笑され、『苦しんでる人』と友達になりたいと言えば、やっぱり『ため息』をつかれてしまう。


だから、まず、自分のことを話そうと思った。

まずは、誰かに伝えなければならないと。

その為にブログで僕の一部を書いた。

全部は書けないけれど『セルフカウンセリング』という我流で自分の心を見つめてみた。


そして、ある程度の形が創造できた。

しかし、まだまだ足りない。

こんなもんじゃない。


苦しんで、立ち止まり想い悩み、自分の殻にこもって感じたことから這い出たのはいいのだけれど。。。


まだ、やっぱり違う。


ブログ、ツイッター、HP、インスタグラム、活動方法を調べてきっかけを探しはじめたのだけれど、些細なことが気になってまたすぐに立ち止まってしまう。

 

平行して就活を行い、友人に謝ったり、別の友人が仕事を紹介してくれたり、『時』が動き出したように思う。

こんな僕にアドバイスをくれて助けてくれる人も居て、とても嬉しく励みになる。

 

しかし、僕が話せるのは多分、学校の教室程の部屋で数人と代わる代わるが精一杯。

いくら働いていないからといって、絵を書いてブログを書いているとそれなりに時間がかかる。

 

色々なことを見て感じて、自分の想いとリンクすることを想像してまた考える。

『お前が苦しみ悩んだことはもっとないのか?』

と言われるかも知れないが、書けないことが山ほどある。

 

『ひきこもり当事者』という立場から書けば辛辣になり過ぎるし、僕は『可哀想』と言われる被害者にもなりたくない。

 

僕の家族や、関係者が、社会そのものが『包括的な加害者』となるような不幸の連鎖は描きたくは無い。

事実、悪い人ばかりじゃないことを僕は知っているのだから。

味方が誰もいないと塞ぎ込んでいたはずなのに、今は知っているのだから。

(いや、ずっと昔から知っているはずだったのに忘れてしまっていたのだろう)


たしかに、変人の僕でも許せない酷い人はいるのだけれど。


僕は、僕という存在を『ドラゴンニート』として自分ではカッコ良く表現しているつもりだけど『ただの被害者面した無職だろ?』と世間から言われることが分かってしまう。

 

とても、窮屈に感じる。とても、空しくなる。


でも、そうじゃない、そうじゃないと言いたいけれど世間から『病人状態』の扱いをされ『面倒な存在』に変わり映えしない。

 

だから、僕を推し進めるのは難しい。

だから、すぐに行き詰ってしまう。

では、一体、どうすればいいのか?

 

僕は、カッコ悪い生き方で道を探すしかない。

出来る範囲でいいから想像して、自分のイメージを絵にして、言葉を書いてみる。

活動を始めて数か月、ひきこもり状態から数年、そろそろ殻を脱がなければ。

ただ、自分を守るだけでは、世界を拒絶したままでは何も見えてこない。

だから、何も描けない。

何も見せることができない。

 

自分のイメージで何かを生み出さなければ。

『僕は誰だ?』と問いながら。

僕は僕の活動が失敗論でもいいから、それでも少しづつ歩いて行きたいのだから。


大それた『目標』なんて無くていい。

目の前に在る『しるし』を感じては、書きたいものを描く。


最近、少し思うところがあって自分を描こうと思いました。

あくまでイメージで実物とは全く違いますが、僕という存在を表現できないかと。

ドラゴンボールの孫 悟空という人気キャラクターの皮をいつまでも被ったままじゃ駄目だと思ってました。

そして、『僕は誰なのか?』と想像して描きたくなったのです。

f:id:dragonneetd:20191223195413j:plain

僕は誰なのか?探さなければならない。

たわいもない創作だけど、0から1にしたいと思って、いざやってみて苦労しました(笑)。

何が正解で間違いなのか、僕は誰なんだって、探していこうと思ってたら描けました。

それでいいじゃないかと感じました。


僕はやっぱり創作が好きなんだって思いました。

自分の好きなことを忘れたままで生きていくのは嫌だなって思いました。


僕の現実には何の変化もありませんが、小さくも確実な一歩を進めた気がします。

そこからまた何か繋がればいいな、なんて空想をしていたい。

自分探しの答えなんて見つからないんだろうけど、だから面白いのだろう。

 書きたいものを描いていきます。

最後まで見て頂きありがとうございました。

それでは、また。