ドラゴンニート ~ 世界を変える挑戦 ~

ニートやひきこもりの景色を世界を変える。

ひきこもり・ニートは量産型じゃない!!(常識を問う)

ひきこもりが110万人を超えると推察されるニュースが世間に流れる。

実際は、5000人を対象にしたアンケートで3000人程の回答からの推測。

あながち賢い人たちの計算は間違っていないだろうが、考え方は変わらない。

 

時に、ひきこもりでニートと友人からも略称で言われる無職で収入の無い状態の僕。

自分でも自覚したが、果たしてこれは正解なのだろうか?


確かに僕は、仕事もせず今のようにブログを書いてみようと思ったのだが。

仕事を探していないわけでもない、仕事をしようと書類審査や面接に落ちている。

会社が倒産して働く意欲を削がれてしまった為か、そもそもお金に使われえるのが嫌いな為か『宜しくお願いします』と企業様に本心で思えていないからだと『背中を丸める』。

 

さて、国の『ひきこもり』の定義として、(内閣府発表だったかな?)

①自室又は家から出なくなった(近所のコンビニには行ったりもする)
②その理由が、妊娠や主婦(夫)や病気でもない
③家事手伝い、育児、介護・看護もしない
④家族以外の人と会話がほとんどない
⑤期間は、6か月以上

準ひきこもりの定義は、狭義の①と④が違う。

①コンビニ以外にも趣味などの用事で出かける
④家族以外の人と会話することがある


だから、僕は『準ひきこもり』と自覚して受け入れたのだが。

ここには『仕事の有無は書かれていない』、だから働いていないので『ニート』だと思った。

しかし、ニートの定義は、

ニート-イギリス英語: Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、

・就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語である。

・日本では、15〜34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指しており「若年無業者」と呼称している。

とのこと。

若年無業者』でもない。

20年以上仕事してきたから仕事の経験もある。変だ。

準ひきこもり』で『偽ニート』、とても変な組み合わせだけど『伝われば』と利用することを受け入れた。


しかし、世の中は僕を『準ひきこもり』と名乗らせてくれないことが分かる。

(だからと言えば齟齬になるが『仕事』は出来なくとも『生きる意味』を探して冒険しているのだが。)


それはある日、『厚生労働省』に電話した日のこと。

僕が『自分で作りだした暗黒世界』から抜け出して活動を地道に繰り返していた日のこと。

『ひきこもり推進事業』に『疑問を抱いた』のだ。

いくら僕が馬鹿だと言っても、突然『お国』に電話するほど大胆じゃない。

色々調べて、地方自治体に設置された『ひきこもり相談窓口』に電話したが『繋がらない』から『取り纏め』に電話したのだ。

何故なら、僕は『困っていた』から『相談窓口』に『電話』した。

しかし、『繋がらない』のだ。

ずっと『話し中』なのだ。

この仕組みを考えたのは『国』だ。

僕は調べて、調べて分からないから『国』の取り纏めまで辿り着いた。

そこにしか『答え』が無いと思ったから。

『回復しつつある僕』は貪欲になれたのだ。

そして『知りたいこと』を質問した。

みなさんからすれば『馬鹿だ、くだらない』と思われるかも知れないが、気になったのだ。


なぜ地方自治体の『電話相談(FAX)窓口』はあっても『メール窓口』がないのか?


僕には意味が分からない。

こんな便利な時代、『自殺相談』には電話窓口もLINEもチャットまであるのに。

『ひきこもり』には『メール』も『LINE』も無い。


そもそも僕は電話するのにとても『勇気』が必要だと思った。


『いい年こいてこんな僕です』と『相談』する『気力』を振り絞ったのだから。

結果『電話が話し中』で『悶々』とするのである。

別の地域に電話したら『管轄違いますので』と気の毒がられる。

『死ね』って言われるより厳しい状況だなと思った。


色々と調べて『やっと助かるかも、話せるかも』と思い門を叩けど『誰もいない』のだ。


だから『厚生労働省』の『ひきこもり対策推進事業』を取りまとめているところを探した。

そして聞いた。

『メールはどうしてダメなんですか?』と。

『それは、関係各所と相談して検討の方向で対処致します』と上手にかわされた。

これが『現実』と知った。


『僕は今にも死にそうなんです助けて下さい』と言わなければ響かないのだ。

やっと回復して活動できるから『電話』しているのだが、当時はできなかったのだから。

そして『当事者』から『相談窓口』の電話が鳴らないことを多数の人が知っている。

そして『当事者の僕』が『電話』すると『異質な者が口を開けば』『わけがわからないことを状態』となってしまう。

(ひきこもり⇒無気力⇒自分で相談できない⇒親が電話する⇒当事者じゃない?困惑されるという構図)


そりゃそうだ。


『ひきこもり』に関する対応は『更生』を目的としているから『そもそも理解が及ばない』のだ。

『人種が違う、日本語で話しているのに』『ある種の拒絶反応』が見られる。

僕も反対側の立場ならそうなるのだろう。


これは『国への悪口』に思えるかもしれないが、僕が話した担当の方はとても『真摯』だった。

そして『僕を応援する』とまで『優しい言葉』をくれた。

僕の『勇気』に他人が『反応』を示してくれたようで『素直』に嬉しかった。


僕は思う。

何が不自然なのか。

何かが違うと思えるのは何故なのか。

世界は常に『異常な状態な人たち』と『集団性で捉えている』と思った。

相手は個人なのに。

知り合いに『ひきこもり』がいれば、特に『突然の違和感』もないのだろうけれど。

言葉では『個人の方によって様々なケースがあるの色々な解決方法があります』と言ってはくれるが。

僕の事を『集団の中で生まれた現象』と捉えていると感じた。

そして『対応できる数には限りがある』ことも。

世界には『容量を超えた』問題がたくさんあるのだと理解する。

僕は『家族からも孤立する自分』を客観的に鑑みて『助けてもらえない』と判断し『自分で助かろう』とした。

それはある意味『正解』だった。(おすすめはしない)

国も社会も世界も、集団で判断し『多数決』を利用した『量産型を作ろうとする』ことに変わりがないのだ。

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ジムにもたくさんのジムが居る。

僕は『量産型じゃない』。

『右向け右』と言われて『左』を向いてしまう愚か者だ。

しかし、『問題』を統計や推察から導き出して『助かる想定にする』など『安易』だ。

『集団からはみだした者は異質』と捉えることからはじめる『矯正や更生』になど大した意味はない。

『様々な人々がいる』と言いながらも『大多数は仕事しています』だから『あなたも働きましょう』など当たり前ではないのだと考える。

今まで起きた『異常』に対して『正常はコレ』と『多数決』で推進するのは間違っている。

多数からすれば『異常』という状態が、その人にとっては『正常』であることも理解して欲しい。

だから、僕は冒険する。

異常な世界から僕だけの高見へ。それは多数決のようで不文律な世界『本音と建て前』が乖離した世界じゃない。