僕がひきこもりになった理由。(セルフカウンセリングについて)
僕がひきこもりになった理由。(セルフカウンセリングについて)
意を決して書こうと思います。
上手くは言えないのだけれど、弱いままで強くなりたい。
これは僕の挑戦の物語。※荒療治になるかも知れないから真似しないで下さい。
あなたにはあなたの物語があるのだから。※長いのでぼちぼち読んで下さい。
僕は、病院が嫌いです。
理由は2つある。
①病院が苦手、トラウマがある。
②病気だという免罪符は要らない。
ひとつめは、幼少期の記憶だ。その病気は治って健康になったがやはり怖いのだ。
自分が突然、病気にかかった不条理の記憶と最近の脆弱な状態がリンクしてしまいます。
病院に行くことで、無気力状態に戻ることや敏感な部分を刺激されて脳みそが破壊されるのが怖い。
そして、ふたつめは病気や障害という正式な診断書が欲しくないし、擁護されたくないのだ。
これは高齢者の『頑固親父病』みたいなやつかも知れないのだけれど、皮肉にも性格が邪魔してしまうのだ。
僕より、酷い状態、状況の人々を優先して欲しくて、僕の順番はこなくていいと思っている。
自分で治してやろうと考えているのだから、僕より大変な人が優先して助かればいいと思うのは当たり前のことだ。
しかし、とはいえ、確実に僕の脳みそは異常になってしまった。
弱音に聞こえてしまうかも知れないが、事実、異常な脳みそでやりくりしているからだ。
僕は、異常者で変人で社会不適合者なのだけれど、誰かに危害を加えたりはしない。
改まって言うと、余計に詐欺師のように聞こえてしまうかも知れないが、それとこれとは別の話しだと言いたい。
失業者=犯罪者、みたいなレッテルが大嫌いなのだ。
ひきこもってニートしている僕は、変態かもしれないが、犯罪者ではない。
世の中には、レッテル主義が横行していて無罪の証明に苦労する。警察の職質など人権侵害だと何度も主張している自分だ。
昼間っからウロウロしていると不審者に見えるのかも知れないが、新しい洋服など3年も買っていないのだから小汚いのであろう。
まぁ、そのことは、データでも実証する為に調べた。また今度アップしますが・・・。
(失業者に対する表現に悪意を感じた為、社会を方向付ける間違った情報が多いと思っています。)
さて、本題に戻ります。
僕は、病院が嫌いです。
理由は2つ。
①病院が苦手、トラウマがある。
②病気だという免罪符はいらない。
最初に、『精神も心も脳みその中』と位置付けて話そうと思ったが、どうやら僕の脳みそのダメージを緩和しているのは、『心』とか『魂』といった脳みそにおさまりの悪い概念で、胸の奥にある錯覚に似たイメージで話すことになってしまいます。
早速、脳外科に通ったら?と言われてしまいそうだけれど(妹にも言われたが)、多分、この脳みそは治らないと思います。
不眠症などの自律神経の障害、加齢による記憶障害だけでなく、僕の頭にはノイズが走るときがあるからです。
痛みではないのだけれど痛い、変な痛みである。心が悲しく、辛くなるというより、胸が重くなり思考が回らなくなる辛さ。
突然、頭の中に蜘蛛の巣が張ったり、雷のような閃光がビリビリと走るので目を開けても閉じても感覚でわかります。
しかし、これはいつ、どのようにして自分に起こったのかと思い出そうとすると脳の動きが分かり易く停滞する。
簡単に言えば、過去の嫌な記憶を思い出そうとすると蓋をしたがるのだ、一種のトラウマであり防衛本能みたいなものだろう。
だから、自分のことを語るのに苦労する。
詳しく説明すれば痛みのない脳しんとうのようなもので思考がスローモーションになってしまう。
そして、言葉に出来ない、記憶の齟齬や言葉の変換に対して鈍痛のようなダメージをうける。
(余計に意味が分からないと思うが、僕もうまく表現できない)
思い出そうとすると辛いだけではなく、意識が混濁してしんどくなる、そう、倦怠感に襲われるのだ。
うつ病とかパニック症候群とかって感じ?と思われるかも知れないが、それは不明、無味無臭な意味不明である!!
病院には行ってないのですから。とかくネットで調べればある程度予想はつきますね。おおよそ一概に言えば『病気』なんです。
しかし、認めません。薬も飲みたくありません。そもそもお金の余裕も無いのです。手前みそで勝手な解釈のままでいいんです。
ある日、気が付けばそんな症状に襲われるようになったのだから仕方がないと諦めて仲良くするしかないんです。
歯医者さんで『痛かったら手を上げて下さい』と言われてふいに『激痛』で手をあげられないソレと似ています。
””痛い””と思ったら時すでに遅し、『痛すぎたダメージ』の余韻に脅えます。
そして、「大丈夫ですかー?ここ痛いですねー?了解でーす」と自分を慰める一人二役でやり過ごします。
ある日、僕はその電気ビリビリの中で、忘れていた記憶を取り戻しました。
僕は『負けず嫌い』『意地っ張り』『頑固』、『不屈の精神』などなど自分のかっこいいイメージです。
これは気分が良かった。
マイナスしかないと思っていた自分の記憶に『かつての自分』『幼少の自分』など色んな自分という仲間を見つけたんです。
そして何度も何度も探っている間に自分の思考や無気力の先に、ほんの少しの『諦めていない』希望があると気が付きました。
この活動の先にはもっと希望がまだあるんじゃないか?と有意義に思えて『夢や希望』を抱いている自分を見つけたんです。
それが僕の荒療治、『セルフカウンセリング』です。
これは、『電脳にダイブする少佐』と言えば分かり易いかも知れませんね。
実際は、文章を書いたり、目をつぶって瞑想したり、眠りにつく前に回想、邂逅するのですが。
無気力な自分がやっとここまで辿り着いたので、少しは回復したと言っているのです。
仕事はまだ決まっていないし、面接に行くのがやっとだけれど、そうこうしてる間に1年が流れました。
あっという間だけど、症状は3年ほど前から続いています。
もっと深読みすると、幼少期から抱えていた小さな爆弾が色んなストレスと混ざり合って爆発したと思います。
お酒や、生活スタイルで体調も崩したし、たばこの量は少し減った程度。まぁ、不摂生な自分に原因はたくさんあります。
しかし、自分の『病状』を『緩和』してブログまで書こうと思えるようになったのだからましな方ではと思います。
病院に行って楽になりたいと何度も考えていたが、病院に行きたくない2つの理由から逃れ逃れてやっと3つ目の方法で回復を試た結果、実際に状態は改善しつつあって、しかし今なお試行錯誤だからとても大変で日々苦労しています。
嫌なことばかり思い出して、それと対峙するのはめちゃくちゃ嫌です。
世界中が敵に思えてきて、更に究極の敵は自分だと気が付きます。
何度も書いて、何度も消す。自分が恨めしい、社会が悪い、世界が悪い、キーっとなってショートする。
そんなループが苦しい。これを繰り返して体力も、精神も疲弊する。
本当、荒療治です。
何度も嫌気がさして死にたくなりました。
目が覚めて、お、まだ生きてると不思議にすら思えることもあります。
本当に死にそうな思いをして書いているんです。
ひきこもってて、出たいのに出られないのはこういうことかと気が付いてきて、それでもやっぱり情緒は不安定で、感情の起伏に耐えきれずいっそ楽になりたいと何度も命を終わらすことに希望があるのかも?と想像してしまいがち。
弱い、とても自分が脆く弱く感じる。
この弱さを克服したい。
しかし、何度やっても歯が立たない。
そして、何度も何度も意味不明な閃光に襲われる。
悟空のようなタフさが欲しい。
何度負けても、立ち上がる不屈の闘志や、仙豆のような回復薬があればと思う。
テレビやアニメを見て自分を鼓舞しようとするも、やる気が出ない、上手くいかない。
ハッピーエンドにすがりたいのだけれど、物語はいずれ終わり、現実の自分が鏡に映る。
時間が襲ってくる、早く働かなければ、電車に乗り遅れる、時間だけが過ぎて行く。
それなのに、お腹がすく。
とても面倒だ。お金もないのに。
しかし、自分なりに原因の特定というか要因が分かってきました。
僕の言葉で、僕なりに分析した結果の途中です。
誰にも当てはまらないかも知れない。
世で発表されていることに自分を治す情報は少なく、僕にはわかり難いので、僕なりの分析になってしまう。(病院にも行きたくないし)
変な日本語や文法かもしれないが、誰にも教えられずに探って、調べて、感じて体得したのだ。
だから、容赦して下さい。僕の論文というか、体験発表です。
<僕がひきこもりになった要因>
1.劣等感因子(抗えない境遇)
2.運命感因子(ついてないタイミング)
3.絶望感因子(言葉どおり、失望ではなく絶望)
5.孤独感因子(世界全体が敵に思えて辛い)
6.変換因子(これがうまく機能しないと全部マイナス思考になる)
今わかっているのはこんな感じ。
詳細はまだ、書いている途中ですが。 (ようやく書けました^^;)
分類するだけでも大変だった。全部辛い記憶なので。
もう少し時間が欲しい。
しかし、正直、食べ物は大事だ。
今もお腹をグーグーならして書いている。
僕の場合、夢中になれることがあれば仕事や勉強、目標に対する努力は惜しまない。
仕事をしているときは徹夜や社畜と呼ばれる行為でも夢中で頑張れた。
たばことコーヒーさえあれば1日やり過ごせた。
しかし、最近はお腹が空いて仕方がない、生物として良い兆しかも知れないが昔から食事と睡眠、とくに睡眠等なければいいのと何度も思ってきたが、眠れないことが辛いことも感じて自分に呆れています。
仕事では、同僚にたくさん迷惑をかけたと自覚していますし、また仕事を始めたら迷惑をかけると思います。
自分さえ、やる気があれば人を振り回すタイプのわがままな人間なんです。
おっと、ついつい話が飛び火する。これがトリップ現象ですね。
ついつい他のことにとらわれてどんどん話がまとまらなくなってくる現象。
大筋へ戻します。『セルフカウンセリング』の話しです。
思えば、時には逃げ出し、投げ出し、失敗しながらずっと抱えていた自分の本心に葛藤しながら試行錯誤を繰り返してまがりなりにも必死に生きて来た。
そんな行き当たりばったりの自分の人生の燃えカスが『ひきこもる』自分を生み出してこんなに自分自身に固執して縛り付けられるとは想像もしていなかった。
何事もほどほどにと、無理はするなとよく言ったもんですが、まぁ、痛みや辛さなど中々、他の人には伝わらない。
一番わかりやすい例が家族です。
「あなたの気持ちは親の私が一番よく知っている」と言った母の言葉は僕を落胆させました。
何故なら、僕の事実と母の事実に乖離があるのです。事実は小説よりえなりです。
ときどきふざけてはトリップしそうなのでまた別で書きますが、上に書いた通り大筋がわかってきたんです。
自分がひきこもりという途方もない暗闇を彷徨うことになった理由が。
時間の概念ではなく『自分の感覚におけるブラックホールみたいな闇』です。
僕は医者でもカウンセラーでもないのだからいい加減な発表になるかも知れないし、もしかしたら、お前より俺の方が辛いよって思う人がたくさん居て、説得力はまるでないのかも知れません。
しかし、自分の弱さを、情けなさを思い返して語るのは、あなたの為ではなく自分の為なんです。
そして、それが世界のひとつの情報になればいいと考えています。
こんなしみったれた僕のシミが何かの役に立つのなら参考程度でも、気休めにでもなればいい。
擁護して欲しいわけじゃないし、守られたいわけでもない。
ほんとにわがままな自分だと思いますがこれもひとつの真実です。
こんなに苦しいと思っていてもまだやせ我慢して、わがままですが自分を維持したいんです。
同じように苦しむ人を助けたいと思うのは、実は僕が助かりたいという本心から来ているような、それも僕のわがままからでしょう。
そして、あなたと同じようなところもあって、全然違う人間がいることを知ってくれればいいんです。
でも、僕をよく知る人間がこれを読めば、きっと驚くでしょう。
「なんと弱々しく、情けない、一体どうしたんだ?」と。
僕の友人は、何度も僕に『ニート』と冗談で言って『励まそう』としてくれました。
家族も『挑発するように鼓舞』してくれました。しかし、対応する気力がないのです。
期待に応えるような気力と体力がからっきし無くなったことに僕自身も気が付いていなかったんです。
僕自身『無自覚』でした。
何故なら『脳ビリビリ』のせいなのか、記憶が飛んでいることもあるんです。
『記憶喪失』ですべてを丸く収めるつもりはありませんが、『逃避活動』が優先されているのか?自分の見たくないものや聞きたくないものを認識しないように『冬眠』していたように思います。
現実逃避の傾向は、ごく自然に白昼夢を迎合し、現実の感覚を酷く嫌いました。
それを無自覚に、いつも通り、これまで通りやって行こうと、自分をやっているつもりなんですが全然うまく行きませんでした。
そりゃぁまともな会話は成立しません。
(もともと偏屈なので、『くどい、うざい』とよく言われていましたが。)
しかし、次第に無職が続くと経済的困難が訪れて周囲の反応は『期待からプレッシャー』へと変わります。
家族のせいにしたいわけじゃないんですが、それはおいおい書いていきますね。
さて、僕の脳みそビリビリや心情なんて、理解できないことは『病気』だと一蹴して区分されるひとつの目安に過ぎません。
人の気持ちは複雑で、いろんな思考が絡み合って心や性格が表現されているようで、つかみどころがありませんよね。
ただ、そんな心情のひとかけらでも、少しでも伝われば理解は浅くとも存在の証明くらいにはなるのではと思うのです。
こんな文法でもってセルフカウンセリングなんて『過去への執着行為』ではトラウマのパラドックスとなって事態が前進しないかもしれないですし、この方法が正しいとは思わないし、人それぞれでやり方は様々とカウンセラーの方が言うのには『それなりの理屈』があるのででしょう。
そして、言わずもがな親や世間から腫物のように煩わしい存在と区分されるのが現時点では当たり前なんでしょう。
だって、僕が当事者とならなければ分からなかった、荒唐無稽な存在が『ひきこもり』だったのですから。
そこに命が生れた瞬間から、無数に広がる点と線をつなぐ活動で世界は広がったり縮まったりして動いているように思います。
僕のやり方は、もしかしたら間違っていて失敗して死んでしまうかも知れませんが、また挑戦してみたいんです。ただ、それだけなんです。
世界を変えたいなどと言っているが、自信など無いし、根拠もない。
今歩けてるからと行って、急に立ち止まってしまうかも知れない。
ただ、漠然と自分の見える世界を変えたいんです。
自分の生命を脅かす自分自身の問題と対決して勝利したいんです。
それは仕事をすれば解決するのか、お金の問題だけで留まらず、生きる目的に繋がっているように思います。
そして、それは過去の自分へのハナムケでもあります。
過去と未来に同時に進むように心がチグハグとなって、引きちぎられてしまいそうにもなりますが負けたくありません。
唯物論か観念論か、存在か現象か、そんなことはどうでもいい。
僕は生きているのか、ただ在るのか在りたいのか、もうどうでもいい。
死ぬまで、抗うしかないとかつての僕にお詫びしながら、自分自身を励ましながら。
一度空っぽになった心に新しい空気を吸い込んで思いっきり吐き出したい。
その為に語る。
そして、同じように苦しんでる人を励ましたい。
だってわけが分からないのだから。
自分がそうなることがわかって生れ、育ち、暮らしていなかったんですから。
ひきこもりは事故みたいで、突然訪れる運命のような強力なチカラを持っているのかまるで歯が立たない。
「無職だから収入無いんですよ~」と笑ってるのは精一杯の痩せこけた自己愛です。
もう一度、これで何度目かになる失った自信を探しています。
こんなことして自身が取り戻せるのか?って。
それが分からないから自分を研究して痛めつけているんです。
誰にも愛されないと、どこにも居場所がないと逃げ込んだ世界の中で真っ暗にただ沈んでいる自分が嫌で嫌で仕方がない。
同時に、世界に愛されるような人間ではないことも分かってしまうのだからたまったもんじゃないんです。
吐きそうになりながら、見えない罵声を想像して躊躇しながら吐露している。
まるで別世界、光の届かない世界、深く沈んだ海の底で窒息しそうなんです。
自分を深く掘れば掘る程、真っ暗闇に沈んでいく。
これは本当に荒療治かも知れない。
何度も言いますが、死にそうです。生きて帰る自信などありません!!
強気に物凄く弱気な言葉しか出てきません。
「じゃぁ辞めろ、入院しろ、施設に入れ」と言われるかも知れませんね。
『もう少しで書けそうなんです!!』
と言っても、待ってもらえませんよね。
通過する電車を何本も見送っています。
乗り降りする幸せそうな人々が羨ましい。
自分よりもっと不幸な人がいるのは知っています。
自分が幸せになる為の努力がまだまだ届いていないことも。
誰にも伝わらない言葉を幾ら並べても無意味だとも感じます。
しかし、だから、本当のことは誰にも話せなくなるんです。
僕は、病院が嫌いです。
病人というレッテルで区別されたくないです。
しかし、状態はひきこもりで無職ですから仕方ないですよね。
働かず、お金も稼げず、外に出ないで自分の世界に閉じこもっている。
すると、この世界の悲しいニュースのはけ口に、誰かを生贄にするシステムが目についてくる。
『ひきこもり・ニートはクズ』
『甘えるな、働け』
『親が死んだらどうする』
言ってることは、その通りかもしれない。
しかし、『甘え』だとか『ずるい』だとか思ってる人は『ひきもり』という状態を理解していない。
ただ自分が働いているからと言って人間が人間を見下すシステムの歯車になってはならない。
『何もしない=楽』ではないんです。楽しいことが何も無くなるんです。
何も感じなくなってきて、残るのは不安と苦痛だけです。
自立できず、自律を失うと低い位置から更に低い位置に墜落しそうで早く自爆したくなります。
『全て自分のせい』だと割り切り暮らせたらどんなに楽でしょう。真面目に努力すれば大半は報われますか?
とはいえ、悪口を言うのはとても簡単なのです。
僕もそうだった。『自分にはあてはまらない』と思っていました。
そうなったときに、現実に浮かび上がる自分の象徴を認めれば、あとは呪うしか方法が思い当たらなかったのです。
いざ『助かろう、抜け出そう』と情報を探すと、悪口はたくさんあるのに、助かる方法はいくら調べてもほとんど明らかにされていません。
前にも話した通り、『自分の恥』など語りたくないのが当たり前で、『元ひきこもり』と言われる人たちも『自身の体験』について詳しくは語っていない。
『失敗談』を誰も語らない。
語るのは辛いのです。
辛いだけでなく、『かきむしる』ことで『かさぶたが剥がれる』可能性もあります。
『ひきこもり』の情報は少なく、神経質な問題になるのでみんな自然と蓋をします。
相談する相手は『専門家』だと思い込みます。
賛否はあると思いますが、今のスタイルはこれが主流なのです。
(未来はわかりませんが)
『本人』が相談する機会は限りなく少なく、家族が『助けたい』と努力する。
しかし、『本人』の言い分は家族にすら理解されないと、ある意味達観してしまい、俯瞰で見るように『専門機関』を拒絶してしまいます。
世界の不文律はここにあるように思います。
『かわいそうな人いらっしゃい』と開かれたドアが見えます。
『愚か者め、矯正してやるから安心しろ』と笑顔で言われているようです。
(これはあくまで僕の体験談、参考までに)
自分が『助かる為に』は『更生』しなければならない。
『働かない』『自立していない』状態を『矯正』せねば生きていけない。
これが当たり前、常識、世界平和の指針と言われても納得できない。
そして、きびつを返し向かう先に待つのは『ブラックホール』です。
出口が見えないうえに、眩しい世界が縁遠く感じて勇気が湧かないんです。
どんな風に助かるのか、どこに行って、誰と話して、どんな希望があるのか?
暗く重いニュースやバッドエンドの物語しかしか想像できなくなっていきます。
自分は悪人、誰にも認めてもらえない、どうしようとなりますが、何をどうすればいいのか混乱の螺旋階段をぐるぐる回ります。
だから、僕は自分で答えを探そうと思いました。
詳細は、また書きますが、先日、本当に覚悟のうえで『厚生労働省』に電話しました。
情報開示されていることには謎が多く、調べれば調べるほど分からなくなってしまいます。
そして一番の理由は、都道府県に割り振られた相談窓口の電話が繋がらなかったからです。
ひきこもりの家族、や本人が相談しているんでしょう。
1日かけて、ずっと『話し中』でした。
だから、僕は『厚生労働省』の『ひきこもり対策推進事業』の国の担当の方とお話ししたかったのです。
『意を決して電話したけれど繋がらない場合はどうしたらいいですか?』と。
答えは分かっています。しかし、敢えて聞かなければならないのです。
答えが違えば僕の勘違いで断定となってしまうのですから。
そして、批判ではなく『ひきこもりがどうやって助かるのか』という実態に近づきたかったんです。
担当の方は親切にも、僕の質問に対して「ひきこもり当事者からの電話ははじめてです。」と驚かれ色々教えてくれました。
そりゃぁ僕だって勇気がいりましたよ。久しぶりに、家族以外と、借金の督促電話以外で目的のある電話会話をしましたから。
とても恥ずかしいし、変なことばかり言ってしまって異常者と思われるかもと不安はありましたし、なんてたって『政府』に電話することって普通は無いでしょう。
しかも、胸を張れるような内容じゃないんです。
情けない自分を露見する話しなんです。相手も『最悪の結末』を示唆しないよう最大限の気を配って気を遣うでしょうから。
とはいえ、とても貴重な情報を知ることができ勉強になりました。
電話を途中で切られるんじゃいないかとひやひやしながらでしたが、『ひきこもりの未来は明るい』と感じました。
その理由はまた今度、ブログにアップする予定です。
だからと言えばなんですが、僕にもう少し時間を下さい。
うまく語れないかもしれないが、目指したいところが見えて来たんです。
ニートの高みへ。ひきこもりを今よりも明るい場所へ。
そして、僕は、偽物の絵を書きました。
本物に憧れる僕は偽物です。
僕は、自分の抜け殻を愛しく思っています。
夢や理想を切り離したままじゃなくて、乖離した現実と希望の溝を埋める活動がしたいのです。言葉では伝わらない想いを形にしたい。
最後に、ツイッターにいいね、フォローしてくれた皆さま、本当にありがとうございます。
何もいい事は無いかもしれませんが、僕は世界を変えたい。
「これだから社会のゴミは・・・」と揶揄される発端になるかもしれませんが、そんな無知な世論と戦います。
皆さんの世界がもっと素晴らしくなることを願っています。
偉そうに言ってますが、無力な自分に何が出来るのかまだまだ試行錯誤ですが、お別れの言葉とならないように皆さんと友達になれるように、また書いていきますのでどうかご健康でお体ご慈愛ください。
それではまた!!